[コメント] 浅草の灯(1937/日)
こういった作劇の常套として、三角関係以上のいくつかの錯綜する思慕のベクトルが描かれる。すなわち、第一に主演の上原謙−山上と高峰三枝子−レイコ。2人は同じ舞台に出ている演者だ。劇団内では、高峰の同僚の藤原か弥子−紅子も上原を想っており、さらに、劇場に近い射的場の娘お竜−坪内美子も上原が好きだ。また高峰に対しては、彼女の熱心なファンで画家志望の夏川大二郎が重要な役割を担う。あるいは、思慕というよりは劣情だが、町の顔役・半田−武田秀郎の、高峰を自分のものにしたいという欲望が、プロットを駆動する。
その他の人物として、同じ劇団には「カルメン」の主役を張り、ともに皆から先生と呼ばれる西村青児と杉村春子の夫婦がおり、上原と同格の役者として斎藤達雄、少し脇役になって徳大寺伸と笠智衆がいる。また、高峰が下宿している酒場のマダム−岡村文子と、亭主−河村黎吉、及び顔役の半田の子分−磯野秋雄と日守新一が悪役。あと、夏川の本郷の下宿には、好人物の近衛敏明がいて、この辺までが主要人物だろう。島津の演出は、これら人物の群像劇を、全員の個性がしっかり立つように見事にさばいていると思うが、そんな中でも矢張り杉村の強い性格付けは際立っているし、役得な面が大きいが、笠智衆の飄然としたカッコよさも目立っている。
画面造型でも、縦横無尽なカメラポジション、特にこゝぞという場面での俯瞰の視点が効果的だ。また、意識的に非常に短いカットを挿入する編集もキャッチさせる。例えば、全編で唯一あるフラッシュバックは、高峰が行李の中の教科書(?)を見る場面で少女期のショットがサブリミナルのように挿入される。あるいはオペラの舞台を邪魔するべく、磯野や日守が野次を飛ばすシーンの彼らのショットも普通よりもずっと短いカットなのだ。あと、全編に亘って随所で浅草の風景が挿みこまれたり、人物の背景に映ったりするのだが、その多くは書き割りやスタジオにこしらえた装置だろう。本物の六区の通りを役者が歩いているようなショットはほとんどないように感じた。これにはちょっと寂しい気もするが、度々出てくる在りし日の凌雲閣の外観や、上原と夏川のシーンで見られる内部の再現も、悪くない出来だ。
もう少しだけ主演2人について書く。まず、上原謙は、私が見た彼の中で、最も勇壮かつ鷹揚な人物として描かれているかも知れない。浅草オペラの演者だが、かつては相当ヤンチャだったことが推測される描き方だ。ナイフを出して、脅したりする場面もあるし、夏川を真剣に殴る場面の迫力には驚く。私服がウェスタンスタイル(テンガロンハットじゃないが、怪傑ゾロみたいな帽子を被っている)というのもカッコいい。今現在見ることができるバージョンでは、終盤に磯野や日守をやっつける場面がそっくりカットされているのは惜しい。そして高峰三枝子だが、確かにこの頃の透明感は半端ないもので、とても愛らしい。ただし、自分のせいで周囲の人々を巻き込んだ騒動が起っていることを気にするあまり、もじもじしていたり、きまりが悪そうな表情が多く、あるいは泣く場面も多過ぎて、少々損な役柄だと感じる。あと、上原と高峰の2人の帰結の見せ方、というか、見せない塩梅は極めて私の好み。このラストシーンで1ポイント加点したくなる。
#備忘でその他の配役などについて記述。
・劇場のスタフには山内光と河原侃二がいる。西村青児の辞職を止める場面。
・近衛敏明が下宿に連れてくる友人の一人は伊東光一。
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