[コメント] クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
少し「ドラえもんパラレル西遊記」と「ディアハンター」についてもふれています
過去も未来も何もない
そんな感じ
映画冒頭の方に、みさえと父ちゃんがお菓子を食べ終えた後、しんのすけがお菓子を食べている。ひまわりにも食べさせる。この4ショットが好き。構図などが。 ひまわりの面倒をみるしんのすけは達者な兄にだなと思う
大人になる理由が「あなたみたいな綺麗な人とおつきあいするため」なのは、もっともだと思う。 個人的にほしい作品だと思う。
演出センスがいれやすい作品というのが、『うる星やつら』や『クレヨンしんちゃん』なのかと思う。ただし、一歩間違えると、面白くなくなってしまうかもしれない。
少し長く、考えさせてくれたので、3点から4点にしたい。
映画は人が見るものだということを考えさせる作品 この映画と一緒にドラえもんパラレル西遊記も見たのだけど、どちらも流れ、構成は同じだと思った。 ただし、クレヨンしんちゃんのほうが、演出センスが光る。
結局、何かあって、何かが終わる。 映画に限らず、「何かある物語」または「何もない話」 つまり、「何か」があるということは、何かがおこって、何かが終わるということなんだと思う。 始まりがあって、何かあって、その何かはスピードがあったり、リアルだったり、時には、現実には見えないものだったりする。 いかにそこに、面白いという曖昧なことをうまく、そして人に共感されたり、かっこよかったりなどなどされるか。 そんなふうに思う
ディアハンターと言う映画で、印象的な台詞がある 木というのはみんな同じようにみえるが 「木は一本一本違う」 みんな同じではなく、それぞれ存在する意義があるという、メタファーで使われてると思うだけど。 映画の数だけ人がいるように思える 人はそれぞれ別人だけど、根本的にいえば人間で、後はいかに演出をするか? 「それをいっちゃーおもしまいよ」 もし、何かの話なり会議なりで、例えば「それぞれの考えは違うものだから、つまり、人それぞれです」 と言ってしまうと、話にならない。 人間はみんなおんなじと言ってしまえば、それりゃそうだと、いうことになる。 多くの映画は人がでてきた、何かあって、終わる。恋をしたり、トラブルに巻き込まれたり、泣いたり笑ったり、ただそれだけのこと。 と、いってしまえば、映画なんて見る必要はない。
楽しい人生にするか、つまらない人生にするのか?本人次第ということが大きい
たまに奇抜や残んシンな映画、 奇形児や、狂人、天才。人間ならこんなところで、理解されにくくなる。
なんてことを確認したり、考えたりしてしまった。 ので、5点 哲学的な映画かもしれない
人とあうなら、つまらなくするより楽しい方がいいと思う
映画も楽しいほうがいいと思う
人がみることと、みられること、
見た目もすごく大事だし、だからといって、見た目が悪い人もいたりもする 中身がいい人もいるし、悪い人もいる
見た目も中身も大事
ただし、人間は残酷なんだと、思う
ということを考える。
珍しい映画だと思う
090511
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