[コメント] エドワード・ヤンの恋愛時代(1994/台湾)
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エドワード・ヤンは、どの作品も「台湾」だと思うんです。何を言ってるのかって?いつも言ってる「映画は時代も国境も越えない」ってやつです。私は地団駄踏むくらい台湾のことを知らない。『牯嶺街少年殺人事件』ではその歴史を、本作も含め他の作品では経済成長を遂げた現代(当時)を、とにかく「台湾」の土着性を描いている。台湾のことが皮膚感覚で分かっていたら、もっともっと面白いに違いない。
そうした台湾の土着性と並ぶエドワード・ヤンの特性として、私は「静謐」なイメージを持っていたんですが、本作は全然違った。まるでウディ・アレン。いや、確実に本作は、ウディ・アレンをやろうとしていると思います。そう考えると、ゴチャゴチャした恋愛模様と喋り倒すのも納得できます。エドワード・ヤンはガチのアメリカかぶれだったようですから(というかアメリカに住んでいた)、ウディ・アレンを模倣しても何の不思議もない。
実際この映画では、主人公のチチにオードリー・ヘプバーンのイメージを重ねてアメリカかぶれを自ら告白します(『台北ストーリー』では主演女優にマリリン・モンローのイメージを重ねている)。さらに、本作ではダメ御曹司にチャップリンも重ねます(いずれも背景にポスターが貼られている)。私は『牯嶺街少年殺人事件』は『ウエスト・サイド物語』の本歌取りだと思ってますしね。ついでに言うと、エドワード・ヤンは手塚治虫が大好きだったそうで、この映画でも芸術家?演出家?は鉄腕アトムのTシャツを着て、手塚治虫的な漫画キャラ設定になっているように思います。好きなものを盛り込んで、エドワード・ヤンは楽しかったろうな。
「エドワード・ヤンの野心作」という言われ方もしているようですが、確かに新たな境地を目指した作品なのでしょう。ただ、「エドワード・ヤンらしさ」は終盤になって、話が重くなってからなんですよね。そういった意味では、基本的には向いてなかったようには思いますけど、嫌いじゃない。
(2023.08.26 新宿武蔵野館にて4Kレストア版を鑑賞)
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