[コメント] 千と千尋の神隠し(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この奇妙で不思議な異空間は,とても心地よかった。
ストーリーの詰めが甘いとか結末が中途半端だとかという批判もあるようだけど,野暮なことは言わずに,この何とも奇妙で不思議な異世界に浸りきって楽しむだけでも十分面白いと思う。 そういう意味では,ジャンルこそ違うけれども「ブレードランナー」などと同じ類の作品のように私には思える。
と言っても,話自体もなかなか良かった。 主人公の千尋がこの異世界で「生きる力」を身に付けて成長していく過程が,この作品の大きなテーマなのだが,この辺りがさりげなく巧く表現されていたように思う。 例えば,最初,千尋は世話になった人に対してろくに挨拶もできなかったのに,ラストでは自然と感謝やお礼の言葉を口にできるようになったり,冒頭ではどう見てもかわいげのない彼女がラストでは輝いて見えるようになったりというところなど,実に自然に描かれていたと思う。
そして,このさりげなさゆえか,そこには「もののけ姫」に見られる説教臭さ・押しつけがましさが感じられず,作品の中の世界に自然に入っていくことができた。
結末は,確かに尻切れトンボの感が否めない。しかし,これだけ逞しく成長した千尋はきっと新しい生活にも溶け込んで輝いていくに違いない。それは十分に暗示されていたと思う。 ここは賛否の分かれるところだと思うが,下手に書き込んではっきりしたハッピーエンドにしてしまうより,観る者の想像を逞しくさせて余韻を残すこのやりかたの方が,少なくともここでは成功していたと思う。 あえて入れるとしたら,エンドロールが流れるバックに,元気で新しい生活に馴染んでいる千尋の姿を流すくらいだろうか。
もっとも,ハクとの関係は,その後の二人の関係もあまり暗示されてはいないし,中途半端だったような気がする。 というより,千尋とハクとの関係が私にはもう一つよくわからなかった。淡い恋なのか,釜爺が言ったように愛なのか,それとも忘れていた懐かしい想い出そのものだったのか? その辺がもう一つ釈然としなかった。ここでは,下手に”愛”なんてことを持ち出さず,千尋の成長の過程を最後までクローズアップして描いた方が良かったと思うのだが。
ところで,この作品では,基本的に悪人が描かれていない。湯婆婆やカオナシでさえ,結構いい人ではないか。そして,彼らは大人ではない,言い換えれば,この街には大人はいないのかもしれない。何事も自分で思い通りにできる(し,そうしないと気が済まない)湯婆婆をはじめ,みんなどことなく無邪気で物わかりのわるいところがあって,酸いも甘いも噛み分けた大人がいないような気がする。冒頭で大人である千尋の両親が豚にされてしまうのは,その象徴ではないだろうか。 そういった優しさや温かさで,人間を,というより生き物全体を見つめている視線が,この作品を好ましくしているのかもしれない。そして,そこにも気負い過ぎたメッセージ色は見られない。この辺のバランスが,「もののけ姫」と違って,うまくとれていると思う。
なお,余談だが,唯一醜く見えたのは,冒頭で豚にされて当然としか思えない行動をとる千尋の両親だけだろうか? 少なくとも作品の冒頭とラストを見る限り,自分のことしか考えていないと思える父親と子供に冷たくヒステリックな母親は,何も変わっていない(豚にされていた時の記憶がないのだから,当たり前なのだが…)。結局,この親子3人の異世界への行き来によって,大人の醜さを暗示するとともに,いつまでも失ってもらいたくない子供の無邪気さを描きたかったのかもしれない。 その意味で,結末はあれはあれでいいとは思うが,その後の千尋と両親の新生活,というより自分の子供が明らかに変わっていることに,この両親がいつ気付くのか?という結果を見てみたいような気はした。
それにしても,千尋が迷い込む異空間は,何とも奇妙で不思議な世界観で描かれている。日本の神社や城郭を思わせる構造に洋風の意匠がミックスされたような油屋をはじめ,街中も和・洋・中の不思議な折衷から成り立っている。 そして,そこに妖怪やら何やら雑多な生き物がごく自然に集まって暮らしているという,この不思議さ…。 この世界は,『平成狸合戦ぽんぽこ』でタヌキたちが総力を上げて妖怪の織り成す一大絵巻を繰り広げたシーンに似ている…,というより,宮崎監督があのシーンをもっともっと描きたくて,想像を膨らませていった結果が今回の異空間なのだと思う。
また,登場人物たちも些細な脇役に至るまで見事に存在感があり,しかも,これまでの作品の脇役たちをどことなく彷彿とさせる存在ばかりだった。 それに,序盤で釜爺のところまで建物外の階段を勢い余って駆け下りる千尋の姿が,カリオストロ城の屋根を駆け下りるルパンを彷彿とさせたり,坊のいる部屋の天井がクラリスの軟禁されていた部屋のそれに似ていたり…と,懐かしいシーンがたくさんある。
そういった意味も含めて,この作品は,これまでの宮崎アニメの集大成と言えるのかもしれない。
〈以上の文章は,別ハンドルネームで他のサイトに書き込んだものに一部書き加えて転記しています。〉
なお,もう一つ思ったのだが,もし,この作品の実写版を作るとしたら,湯婆婆は絶対に黒柳徹子だろう。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。