[コメント] スモーク(1995/日=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
物語、ストーリー、お話、という物の効用について、がこの映画のテーマなのかなあ?と感じたので物語論めいた事を語ってみる。
「真実」という言葉を絶対なる真理というふうに定義するならば、「事実」という言葉は万民からの客観的な出来事という感じなのかな?それで、あえて造語で「信実」という言葉をつくって「信じるが故に真実となった事実」と定義してみよう(実際には別の意味なんだろうけど)。つまり「物語」の重要性はまさに「信実」にあるのだ。事実なんてものはありそうでないもので、人によってまちまちなのだ。ある人にとっては赤い物も、ある人にとっては青い物であるかもしれない。人それぞれに事実というものが存在してるのだ。事実には反してることも、それをその人がどう受け止めどう感じたかの方が大切な真理なのである。
この映画には様々な事実の受け止め方が描写されている。妻の死という事実を受け止められずいつまでも悼む人。自分の出生を隠し事実を語らず実父に近づく少年。蒸発した我息子だと思い込んであかの他人を抱きしめる盲目の老婆。またその老婆に真実を語らず一時の幸福を与えるおひとよし男。我が娘の父親が誰だか分からないアバズレ女。そして写真を趣味とするタバコ屋の男が撮った街角の写真のみが、淡々とその事実のみを物語る。その写真という小道具を「真実」と「事実」の対比の象徴に使うあたりなかなか憎い手法。「真実」がいかに人間の心と行動原理に影響するものか、人が生きるうえでいかに「物語」といもののなかにまみれているか、ということがこの映画の主題であり説いているところなのだろう。
あれっ?ちょっと物語論からはずれた?すみません。でも読んでくれてありがとう。
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