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[コメント] ファイナルファンタジー(2001/日=米)

映画界にはフォロー不可能な作品というのは時々出てきます。しかし、そういう作品が反面教師となって映画界を動かしても来たのです…多分。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この映画を語る人の大部分は酷い酷いと言う…私もそう思う。

 CGはテカテカギクシャクし、ストーリーのベタさ加減に過剰な演出が見事なくらいに噛み合ってない。有名俳優の声も画面に映えない。など、細かく言えばいくらでも文句は出る。

 しかし、本作は一応映画史的に見るならば、それなりの意味をきちんと持っている。  それまでも映画にはCGは使われていたが、実際にそれが使用に足るものとして前面に出せたのは『ジュラシック・パーク』(1993)あたりから。一方、日本のアニメにおいても積極的にCGを取り入れることで、様々な可能性を呈示してきた。CGであれば何でも可能で、これまで観たことがない画像が作れるはずだ。と言う考えが主流となってきていた。その意味で『マトリックス』(1999)は実写とCGアニメの合成という意味では大変画期的な意味合いを持つ作品だった。

 そしてもう一つの可能性を本作は呈示しようとしていた。つまりは人間を用いずに映画は可能か?と言う試みである。

 その意気込みはよく分かる。あるいはこれが本当にフルCG映画の流れを作り出す可能性もあったのだ。

 それで本作は見事に失敗。しかし、この作品は一つの大きな問題を提示することになった。

 結果的にここで示されたものは何か。

 極々簡単なことである。

 物語があって、人があってこそ映画になりうるのだということ。これだけである。

 映画には生きている人が必要なのだ。じゃ、アニメはどうなのか?と問われるかも知れないが、アニメは単なる絵であったとしても、そこに息づいている人間を感じさせることが出来る…いや、それを感じさせなければ良質なアニメとは到底言えない。それが実際の人間である必要はない。ただし、そこには生きているというリアリティが必要なんだ。

 それに対して本作は、単なる動くCGの絵でしかなかった。

 いくら技術が発達しても、そこに人間がいなくてはどうしようもない。その事を世界中に確認させた。その事で本作は評価されるべきだ。勿論反面教師として。失敗作だからこそ、意味があった作品だった。

(評価:★1)

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