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[コメント] ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(2001/米)

言葉のしもべ。
goo-chan

「なぜ映像で説明しない。」僕はそう思った。

この作品における映像はナレーションの補完役でしかない。主人公の半生がつまっている曲の歌詞まで字幕で出されるというのは作者の映像情報に対する不信のあらわれなのではないだろうか。

**補足(2002年4月15日)**

上の表現では僕の意味する所が伝わりにくいのではないかと思ったので、ここに補足の文章を書くことにした。

この作品から某かの教訓なり何なりが得られるとすれば、主人公の波瀾万丈の人生を語った部分か主人公が歌を歌う部分からであるというのは僕も含めておそらく一般的な解釈であろう。

そして、主人公の人生を語った部分で目立ったのは主人公の人生をナレーションで語るという手法であり、主人公が歌を歌う部分で目立ったのは主人公の心情が表現されている曲の歌詞を字幕で提示するという手法なのである。

一般的に言って、もう既に悲しい顔をした俳優をカメラが捉えているにも関わらず、そこにわざわざナレーションや字幕等により「悲しい」という言葉を付け加えてできた「悲しい場面」が如何に醜く安易なものであるかは僕わざわざここで説明するまでもないことであると思う。

要するに、この言葉に満ちた作品は「おおよそ映画において…」の文脈から引き出される「醜く安易なもの」の範疇を抜けきれていないように僕には感じられるのである。

僕の感想 「そんなに言葉で説明したいなら映画じゃない別の手段があるだろう、映画なら……」 に続いたのが冒頭の 「なぜ映像で説明しない。」 の言葉なのである。

(評価:★2)

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