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[コメント] 踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003/日)

TVシリーズ観てないので、前作は「人間関係を読み取る」という楽しみがあったが、今回5年ぶりなのにまったく変わっておらず、それがなかった。少しは変われよ。
G31

 私も仕事しててよくこう思う。「俺はいったい何のために働いているのだろう」それから、面と向かって「おまえの仕事は無駄だ」と言われた事こそないが、こんな風にも思う。「俺の仕事は何の役に立っているのだろう」そんなとき、こんな風に考えることができたらいいなと思うのだ。俺が仕事をしているのは、「そこに仕事があるから」だ。だがこれは根拠のない嘘っぱちだ。なぜなら、仕事は自分で作るものだから。

 こんなことを書くのは、恩田すみれ君(深津絵里)も同じように感じていたからだ。前作で、机の中に辞表を忍ばせていたすみれ君は、何のために働いているのか(わからない)、とつぶやいていた。今作では、署の幹部連に向かって、「私たちのやっている仕事は、どうでもいいと言われてしまうような仕事なんですか?!」と詰め寄っていた。みんな同じように感じている。

 しかし、刑事は特別な職業だ。刑事は、「そこに事件があるから」捜査するのだと言える。なぜなら、事件は自分で作るものではないから。事件は起こるものだから。刑事は、なぜ働いているのか、と頭を悩ませる必要のない職業である。その証拠に、青島刑事(織田裕二)は何も考えていない(言い過ぎだ。今回は「やってられっか」とばかりにやる気を失うシーンもあったほどだ)。

 脚本家の笠原和夫(故人)曰く、昔は、刑事と新聞記者は下司な職業であるという認識が浸透していた。刑事と記者のどこが下司なのかは不問とするが、彼らが下司であるとするなら、彼らの拠って立つ基盤である、われわれ市民社会も下司なのだ。われわれは、それを職業にしていないだけである。

 恩田君は、ちっとも下司じゃなかった。恩田君は、「事件に大きいも小さいもない」と言って、どんな事件にも均等に(かつ熱心に)取り組む刑事である。恩田君にとって、刑事は職業の一つであり、事件は片付けるべき仕事の一つである。確かに、仕事に大小は存在しない。どんなつまらない仕事でも、誰かがやってくれなければ組織は回らない。だが、説明するまでもないことだと思うのだが、事件には大小がある。事件に大小がないというフレーズは実際に警察で言われているのだが、これは、捜査の手抜きや、逆に過度ののめり込みを戒めるための言葉だ。警察は、第三者として距離を置くから捜査を冷静に進められる。実際には、事件に大小はある。巨悪を放置したまま、シートベルト着用義務違反ばかり摘発しているような警察では困る。日本の警察はそんなことないと信じているが。

 ところが恩田君は、小さい女の子を守ろうとして、犯人に背中から撃たれた後、織田裕二の腕の中でこう言った。「私の体内に残る弾を取り出し、ピストルに篭め、その弾で犯人を仕留めて・・・」見よ。恩田君が”刑事”になった瞬間である。これは私憤であり、復讐心以外の何物でもないが、その分、義憤よりは純粋だと言える。だがとにかく、恩田君は、真の刑事への一歩を踏み出した。「おめでとう」と言ってあげてよいのかどうか分からないが。生きていれば、たまにはキャビアも食べられる。人生って、そう捨てたもんではないだろう...? 70/100(04/02/29全面書改)

(評価:★3)

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