[コメント] 明治侠客伝 三代目襲名(1965/日)
後に緋牡丹博徒シリーズのお竜さんで名を成した藤純子。だが彼女の肉厚の手は、札を繰るより桃の玉を包む方が本来似合っていたのでは、と感じた。体当たり的な情念の濃い演技も、初々しく、可愛かった。それ以外では特に見所もなく、かといって悪いところもない。この映画を物語として評価する人を私も知っているが、私にはよくわからない。悪党どもに悪の魅力が足りず、仕掛ける悪行が幼稚な悪戯レベル。このため守る側(善玉側)も精彩を欠き、ラストでカタルシスに欠けるのだ。駅舎だか列車だかの屋根の上に乗っかってる鶴田浩二の図に、お前は忍者か、というようなむしろ”おかしみ”を感じてしまった。もっともハスに構えて見れば、仁侠映画ほど滑稽味に溢れた作品群もないけれど。
確かに冒頭の映像シーケンスは印象的だった。祭りの静寂な始まりを真上から見下ろし、張り詰める緊張感がやがて神輿を担ぐ激情へと転換していくシーンは、任侠道という厳格な様式の内に潜む人情のエネルギーを見事に暗示していた。しかし、任侠世界そのものが、この手のシチュエーションに満ち満ちた世界である。どうせなら、任侠社会の一局面を用いて、こういうシーンを描いてほしかった、というのが私の希望である。沿道で祭りを観覧する親分(嵐寛寿郎)が、任侠道の傍観者に見えてしまうという印象の矛盾を拭うことができない。
刺客・汐路章の登場シーン、目が痛くなりそうなくらいの極端な仰角ショット(と言うんですか)については、もっと意味がわからない。意味を解説してくれる人がいるなら、聞く耳は持つけれど、私には単なる映像の遊びにしか思えなかった。遊びはあっていいし、実際に遊びとしては面白い。だから、映画全体を評価するに際しては、プラスの要素として働いた。だが、映画そのものにプラスの効果を与えている、とまでは考えられん。という感じ。
75/100(04/10/24記)
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