[コメント] あゝ決戦航空隊(1974/日)
戦後、数々の戦争映画あれど、これほどの「天皇批判」をぶち上げた映画を私は知らない。
大西滝治郎(鶴田浩二)・児玉誉士夫(小林旭)・小園安名(菅原文太)が作中繰り返し述べる「何故、天皇陛下御自身が出陣し、玉砕しないのか!」という台詞のみならず、「天皇陛下の言葉で始めた戦争」「何もしなかった天皇」という、ひとつ間違えばかなりヤバイ台詞を「捨て台詞」ではなく、準テーマとして大々的に叫んでいる。
これはかなりヤバイ。右翼の宣伝カーが大挙して東映本社に突入してもおかしくない程だろう。
だが、ここで気になる存在が準主役ともいうべき児玉誉士夫である。戦時中のことを詳しく知らない若い世代でもこの「児玉誉士夫」という名前は聞いたことがあるだろうという戦後の代表的なフィクサーである。大陸浪人から右翼の武闘派となり、この映画で描かれたように「児玉機関」のボスとなる。終戦時に上海から大量の宝石金塊を横奪しひと財産を築き上げ、戦後政界の黒幕として数々の政界スキャンダルに関与、中でも本作の二年後に発覚した「ロッキード事件」の黒幕として田中角栄とともに逮捕された。
制作当時にも数々の疑惑の渦中にいた存命中の男を、準主役ともいうべき存在で描いた意図があまりにも前面に出すぎていて戸惑う。
彼は右翼の中でも「天皇中心主義」で動いてきた人物だ。結果から言って、この作品は児玉誉士夫という大物右翼・政界の黒幕の視線で見た戦争史観である。だが、この児玉史観が屈折しているので単純明快なストーリー(歴史観)を期待した観客は戸惑うのだ。
徹底抗戦を主張する強硬派=右翼。右翼=天皇擁護。この単純な図式が壊された。というよりも、「そう単純に決め付けるな」というのが本音だろう。これは天皇に対する「近親憎悪」なのだろうか?それとも・・・
それとも、児玉誉士夫等にとって天皇陛下は「天皇」という単なる御輿に過ぎなかったのだろうか?
その意図するところは私には判らない。ただ、これほどまでに「天皇」を批判し、無能扱いした作品を知らない。
PS,任侠映画ブームを作り上げた制作の俊藤浩滋(藤純子の父)が及川古四郎役で出演していた。彼を見て思った。『山口組三代目』や『修羅の群れ』といった自伝映画で山口組や稲川会をヒーロー扱いして、その筋と密接過ぎる関係を持ってしまった男の当然の帰結として右翼の大物の自伝映画は必要だったのだな・・・と。
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