[コメント] ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003/米=独)
「死刑」という極めて重い問題に手をつけているものの、パーカーの持ち前の演出力でエンタテインメントとしても楽しめるようになっている。しかし、この映画で使用される問題提起の方法にはかなり疑問を感じた。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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残り少ない生命(コンスタンスは本当の生命、デビッドは社会的な生命)を有効に使おうとしているのは分かるが、果たして彼らの周りにいる人の気持ちはどうしてくれるのでしょうか。デビットの息子や奥さん。画面には登場しないが、コンスタンスにも家族がいるでしょう。
死刑という存在の是非には一石が投じられるでしょうけど、残された人にはそれがどのくらいの慰めになるのでしょうか。「2人は崇高な目的のために残り少ない生命を有効に使い、とても素晴らしい役割を果たしました。ただし、2人ともこの世にはもういないけどね」と言われる人の身になってください。
こんなふざけた命の使い方をしたら、最後の最後まで生きたくて生きたくてしょうがない人達が怒って暴動を起こします。「命」を至上とする死刑制度反対を唱えている人が選択する方法とは思えません。
それといくら目的が一致して相手のことを理解していても、頭から袋をかぶって苦しがっている人を目の前にして、そのまま息絶えさせる神経が私には全く理解できません。私だったらコンスタンスの袋を絶対に引きちぎりますよ。
主演のケビン・スペイシーは相変わらずの好演です。しかし、彼をキーパーソンに使ったことで作品に弱点が出来てしまいました。彼の「映画的前科」が頭に入っている観客は作品の終盤に「爆弾」が仕掛けられているのが薄々感じられてしまい、少々興ざめ気味になります。
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