[コメント] ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003/米=独)
邪念自体は、ひとつの人間性である。問われるのは、その顕現の方法、つまり品性である。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ケヴィン・スペイシーを死に場所探しに駆り立てた災厄を設定して、死に場所探しの有効利用を正当化するのは評価できる。不満なのは、彼が最後に送りつけるあのビデオだ。あれをすると行為が自己顕示欲の発露になり、自己犠牲の切実さが薄められてしまう。望むことだから、犠牲の痛切さが出てこなくなる。黙って死ぬべきとは言わない。言わずにはいられないのも人間の業である。しかし、あのビデオは、自己顕示欲が発露しない形で、つまり、彼とわれわれ観測者の間で、密かに共有されるべきものではなかったか。
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