[コメント] ホーリー・スモーク(1999/米=豪)
映画の中の二人(ケイト・ウィンスレットとハーヴェイ・カイテル)の関係は、この映画と(映画を観て)シンパシーを感じられた者との関係そのものだと思う。人によって常識もしくは非常識な映画なのだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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以前友達が宗教ツアーでインドに行った。そこでの出来事(症状)が主人公(ケイト・ウィンスレット)と全く同じだったので映画の家族同様「これはマズイ」と思い注意深く観ていたら…「BE KiND」のくだりで人生最大のコンプレックスをつかれ跪いてしまう。
そして一見コントにしか思えない出立ちのハーヴェイ・カイテルが主人公同様愛おしくて堪らない。勿論 男女の愛ではない。「なんでそうなるの???」と言われても「だってそういうものだもの???」としか説明出来ないこの感覚、この流れ、もう私にとってジェーン・カンピオンは神!インドの友達の件はどこへやら自分がこの映画にどっぷり嵌ってしまった。
誰かが信じている事をどんなに上手に説明されても、シンパシーを感じられない限り自分の常識にはならない。この映画が正にそれだろう。だがこの映画の二人の様に虚飾はおろか世間体・一般常識をも超え体一つでシンパシーを感じあえる人に世界に一人でも出会えたらこんなに心強い事はない。もう何も怖くない。無理して他人に理解を求めなくても良いんだと。。。ってそれで終わったら映画の批評にならないか。
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