コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] サヨンの鐘(1943/日)

戦時中の、実話に基づくプロパガンダ映画、と言われるような作品なんだと思うが、まさに映画全体がそういう感じ。
G31

 そういう感じ、というのは、作り手側が、見る側も自分たちと同じようにこのお話を美談として受け止める、という感覚を無条件の前提としていること。もしかしたらそう思わない人もいるかもしれない、という想像力はまったく欠落している。したがって現代の日本人が観ると痛ましい。この遠慮の無さ、傲慢さを、力を背景に押し付けていたと知るからだ。

 だが同時に、特定の感情を呼び起こす目的の、戦術的なプロパガンダではなく、ただの善意(つまり独善)から作られていることも分かる。もう一つ感じるのは、清水宏という監督は、なにも戦争協力のパガンダ映画を撮るためにこういう演出手法を採った、という訳ではないだろうということ。このたび何作か見る機会があったが、共通しているのは、自分が描こうとする価値観を、当然観客も共有しているだろうというような、ある種の物語的・構図的な弛緩があること(※1)。これは、まったくの観客不信と言えるような、あらゆる技巧を駆使しても注意を喚起する(同世代の)小津成瀬的な画面の緊張感と比べると、一層浮き彫りになる(※2)。普段からこういう演出手法であったに違いなく、それが清水宏という映画作家の特徴なのだ。そして、これを受け入れる世相(観客層)もまた確実にあったようだ。作品としては退屈だった(私個人としては共有しない部分が多かった)が、見る意義はあったと思った。

 (※1 現代でも、技巧的に未熟な映画作家が、それでもあからさまな未熟を示す<説明台詞の多用>を省くと、こういう感じの映画が出来る。だが清水宏の場合決して未熟ではない。それはわかる)

 (※2 小津・成瀬にしても、それが明瞭に出てくるのは戦後になってからだが)

 戦前に活躍する李香蘭(=高砂族であるサヨンを演じる)を初めて見た。すっぴん顔を披露していて、それは確かに現地人と見紛うほどごつごつしていた。だが話し始めれば、日本人として疑う余地はない、と思えた。「あれ?」とか「よいしょ!」とか「どうしよ?」みたいな、台詞とも言えぬ様な間投詞的な発語があまりに自然だ。当時の日本人観客は本当に彼女をチャイニーズと思っていたのか???? とてもお綺麗でしたけど。

65/100(07/09/02記)

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。