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[コメント] セックス・アンド・ザ・シティ(2008/米)

眺める楽しみを常に与えてくれるのはクリスティン・デイヴィスだけ。だがほかの3人もフッと綺麗に見える瞬間がある。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 初めて劇場で観たとき感じたことが思い出された。このシリーズがそれまで積み上げてきたエピソードや人間関係、その機微や展開の常道といったものがまるで分からないので、キャリーとジョン(=Mr.Big)が多少の曲折は経ても着実に添い遂げる方向へ進む基本ハッピーな物語なのか、あるいは二人の関係は実りのない悲劇的な破局として描かれることになるのか、まったく方向感が掴めない。二人の感情の推移がきめ細かく丁寧に辿られていて、説得力がありながらも意外性に富んでいるため、リアルにハラハラさせられたのだった。

 式の前夜に不安になったジョンが電話を掛けてきたときは、彼を励まし、勇気づけ、安心させる力がキャリーにはあった。相手の立場を思いやり、彼の感じている不安とその根源を推し量れるだけの心の余裕が彼女にあったからだ。そしてこの挿話自体は、二人の心情が、二人の努力によって、深く結びついていることをも描写している。だがその翌日、式の当日の彼女は、これから式を挙げるという幸せな自分、そしてその後は直前に新郎から裏切られた悲劇の当事者となってしまった自分、というものに精神が完全に支配され、ジョンの感情の機微を推量することはできなかった。彼が式場に戻ろうとしていたことに、気づけてさえいたら。あゝだが、結婚式の当日に舞い上がってしまった(それ故に落ちた奈落も深かった)女心を、いったい誰が非難できるだろう?

 本当に女性の自立を描いた映画というものはなかなかなくて、このドラマシリーズもそうだと批判されていたりするのかもしれないが、この、女性特有の<可愛らしさ>が、本作のキモになっていると思う。地味な白いスーツが自分らしいと考えていたのに、豪華なウェディングドレスについ我を忘れてしまうような。あるいは最新の流行服を着たり、ブランド物のバッグを手に入れるために努力を惜しまないといったような。基本的には、幼い頃にきれいなドレスを買ってもらって感じた嬉しさの延長線上にあるような他愛のないもの。だが確実に虚飾を慈しむセンスとしての<可愛らしさ>だ。実際、サラ・ジェシカ・パーカーという役者さんは、普通にしているとイースター島のモアイ像みたいに無骨な感じに見えるのだが、そういう瞬間には本当に無垢な少女のように可愛らしく見えてしまう(私の方が年下ですが)。この不思議な二面性が、このドラマを支えるキモなのではないかと、思った次第である。

 でも彼女(=キャリー)は、ちゃんと自分の頭で考えて、最後には非は自分にあると結論するのだから、立派だ。人物造形の平衡性と、筋立ての緻密さが実に心地よい。

 今回、劇場で『2』を見たことを機に、DVDで久々に見直した。ジョン(Mr.Big)から電話で「さっきまで式場の前にいたが、いまそこを離れた」と言われたとき、さすがにキャリーの前向きな意志もくじけて携帯電話を床に落としてしまう。そのときのカツーンという乾いた音が痛切に私の胸を打ち、同時にドラマの悲劇性を決定的にした、と記憶していたのだが、今回観たら、携帯はウェディングドレスの長い裾の上に落ちていて、あまり音はしなかった。DVD化するときにテイクを差し替えたりなんてあるのだろうか? 人の記憶というものの不確かさを感じた次第である。

 その後に続く、花束でジョンの頭を叩く、不思議に美しい、でも見事に悲劇性の現れたシーンも、劇場で観たときの方が印象的だったなあ。等々。

85/100(10/09/12記)

追記)本作でのサマンサにさほど悪い印象は持たなかったが、『2』ではただの遣り手ババアと化していた(←意味違うが)。このキム・キャトラルがあの『マネキン』のキム・キャトラルだと気づいたとき、ボクの受けたショックは深かった・・・。

(評価:★4)

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