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[コメント] それでも、愛してる(2011/米)

自殺を図って手首をカットしても、その切り口に塩を擦り込めば痛さに飛び上がるという。頭で死にたいと願うのも自分、生きたいと反応する身体も自分だ。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 “夜回り先生”のコラムで読んだ。リストカットを図った女子生徒が、「先生、いま私、自分の手首を切った」と電話を掛けてきた。先生はそれを受け流すと、塩を取ってこさせ、傷口に揉みこむよう指示をした。生徒は素直に従ったのだろう、間髪を入れずに凄い悲鳴が響き、電話口にこう叫んできた。「先生、私を殺す気!?」

 思わず笑ってしまうユーモアある話だが、女子生徒が、本心では助けを求めていることと、普通に言ったのでは聞かないこととを、両方分かった上での対処だったのだろう。人の心理は、その程度には複雑だ。その程度には複雑だという心理体験は誰にもあると思うが、そういう体験のない人間が、この先生の対応を批難するのだろうか。

 “ビーバー”という異形の存在を使って、確かに主人公は一度、“立ち直る”。そういう立ち直りさえ希であり、本人の物凄い努力と葛藤の上に成り立っていることを思えば、私たちの優しさは、この“立ち直り”を受け入れてしまうのかもしれない。

 だがそれが、表面上の“立ち直り”でしかなく、したがって持続しないものであることは、何よりもその姿の異様さが雄弁に物語っている。

 だから、私たちは、これを受け入れてしまってはいけない。受け入れないだけの厳しさを持たなければいけない。その厳しさとは、愛であろう。したがってこの邦題は、いいセンスだと僕は思う。

 もちろん、間違った“立ち直り”をしたっていいんだ、そういうことはあるんだ、“それでも大丈夫なんだよ”と、この映画は言っている。遠回りをするようでも、必ず“正しく”立ち直る道はあるんだ、諦めるな、希望を失うな、というのが、普通に考えれば、この映画の主張だろう。

 一つ潜在的な問題があって、それは、普通は最初に試みた自殺を、主人公(のような立場の存在)は成功させてしまうだろう、ということ。そうすると、主人公への愛があると言ったが、愛が人を死に追いやるのか。それでも愛と言えるのか、という問題。

 答えは簡単で、それは、この映画の扱っている問題ではない、ということになる。

85/100(13/04/13記)

(評価:★4)

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