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[コメント] アメリカン・サイコ(2000/米)

この曖昧な「自分」を抱えて、でも生きていかなければいけない、ということ。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







たとえば有名大学だから、お金持ちだから、あるいは肉体が素敵だから?とか。そういう〜だから、というふうな条件つきでしかこの主人公はいままで他者から自分のことを認められてこなかったのではないか、と思う。いわば、その条件(〜だから)という部分が自分のすべてであり、その意味では。この主人公の自己というものはとても空虚なものである、ということが言えるのではないかと。しかしまた、そのような条件づきの自己というのは、自分が自分であるという感覚、というアイデンティティを獲得するためには、ある程度必要になってくるものでもあるという。アイデンティティという概念を提唱したエリクソンによれば、

《真のアイデンティティとは社会的にも是認され、本人にとっても肯定的な自己像でなくてはならない》

としている

その「社会的に是認され」という部分が、いわば「条件付きの承認」にあたる部分だと思われる。またよく考えれば、わたしたちは、多かれ少なかれ「他者」を経由して「自分」のイメージを作り出し、安定させていると思う。他者や社会に合った自己にしていく、そういうことはみんな、やっているのではないかと。 問題は、社会的に是認される自己と、本人にとって肯定的である自己、それをどううまくつなぎわせていくか、両者のバランスをとっていくか、そういうことだとおもう。

そして主人公はいわば前者の、社会的に是認される自己、が誇大化し後者の、本人にとって肯定的である自己、とのバランスが崩れていると言えるのではないかと思う。そして、その前者の自己を縮小させるために、社会的に是認されない行為=殺人を犯していったのではないか、と仮定してみる。 そうするとだから殺人を犯す自分こそが、そのような空虚な自分に代わるほんとうの自分である、と考えるのも間違っている。そしてこの映画も、そのような考えから外れていく。殺人を犯す自分でさえも、本当の自分ではないのかもしれないそういうふうに思わせる。

要するに、ほんとうの自分なんて存在しない、あるいは、どれがほんとうの自分なのかわからない、そうしたことを前提にして、この曖昧な自分のままで、自分と自分の間を行き交いながら、でも生きていかなければならない、(そして主人公が気づく以前に、既に社会はそのように動いていた)そういうことなのではないかと思う。

ちなみに参考文献にあげた本で、著者である香山リカさんは、アメリカでは特にそのような社会的に是認される自己が重要視される、といっています。

《極端に言えば、アメリカでは社会的に認められ人に喜ばれない「私」なら、いないほうがマシなのです》

■参考文献

香山リカ「<じぶん>を愛するということ」講談社現代新書

(評価:★3)

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