[コメント] 競泳選手ジャン・タリス(1931/仏)
この教育的ニュース映画は、泳ぐためにはまず水に入れと教唆し公の目的を終える。その後、競泳王の「人格」は無視されジャン・ヴィゴとボリス・カウフマンの関心は「水」と「肉体」と「アクション」をどうフィルムに残すかという自己目的の達成に終始する。
たとえ被写体がどんな英雄であろうと、競技者の“生身”をまえにしたとき、「才能」や「人格」ではなく「アクション」に美を見出そうとうするのが映像作家の本能なのだろう。後のレニ・リーフェンシュタールの『美の祭典』(38)や市川崑の『東京オリンピック』(64)も、本質的には本作のブラッシュアップでしかない、と言ってしまうことも出来る。
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