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[コメント] 僕の帰る場所(2017/日=ミャンマー)

難民申請が受理されず日本に留まり続ける一家の話しだ。夫も妻も小学生の兄弟も、みな何かを我慢してる。前に進むことも、引き返すこともままならないこの家族には、物理的にも精神的にも、抱えきれないほどの「できず、あらず」という“不”がまとわりついている。
ぽんしゅう

一家の背後には祖国の政情不安が、行く手には日本政府の滞在不許可という国家の“不”が存在している。父親は入国管理局で収容という名目で身柄の不自由を強いられ、仮放免後は生計のために不法就労という不正な労働環境に甘んしる。父親の不在に幼い兄弟は不満をいだき不平を母親にぶつける。そんな不安定な状況と将来の不安のために母親は精神的にも身体的にも不調を訴える。

前半は、政情不安と滞在不許可という二つの“不”に端を発する、そんな数えきれない“不”が生活の断片としてリアルに描かれる。中盤、物語は一転し兄弟はヤンゴンでの生活を経験する。そこで目の当たりにするミャンマーと日本の文化・経済の格差はいかんともしがたい現実であり、身の置き場をなくした少年の不安と不満もまた理屈ではままならない“不”なのだ。

日本の生活に慣れ親しんだ少年が、祖国であるはずのミャンマーという異国で抱いた“不”は行く末の障害となり、彼を孤立へと追い込むかもしれない。だが少年にはまだ未来という時間がある。彼が経験した“不”は、彼と同じように国家によって引かれた境界線のために“不”を抱えた子供たちの未来と共振し、連動し境界線を無化してしまう芽にもなりうるだろう。藤元明緒監督が見据える少年たちの未来に、微かだがそんな光りをみたような気がした。

出演者たちに演技の経験はなく、二人の少年(10歳と6歳)と母親は本当の親子だそうだ。子供たちは日本の保育園育から小学校に上がり、母親は東京でミャンマーの物品を扱う雑貨店を営んでいるそうだ。父親役は過去に建築を学ぶために来日したが、希望がかなわず現在はミャンマー在住とのこと。

おそらく撮影現場で発案されたり、組み立てられた即興に近い「芝居」を、今まさに起きている「現実」の言動として、撮影担当の岸建太郎は手持ちカメラを多用し撮影というよりは、あるがままに記録したのだろう。複雑に絡み合った現実問題のリアルさを、空疎な理屈や大仰な告発に仕立てるのではなく、そこにあるリアルとして創作する藤元監督やスタッフの姿勢に、この問題をより正確に、より広く知らしめたいという真摯な熱意を感じた。

本作は2017年の公開だが、2007年からし7年かけて制作されたそうだ。当初、撮影は軍政のもとで制約をうけながら進められたと藤元監督は舞台挨拶で語っていた。その間、ミャンマーは2010年の総選挙で軍政から民政へ移管したが、その後も国軍は新憲法のもと強い政治権力を維持していた。作中でも夫は「みんなは良くなったというけれど、国にはまだ本当の自由はない」と語り、現地で暮らす妻の兄は「我々のようなその日暮らしの庶民の生活は何も変わっていない」と言っていた。

この映画は今年(2021年)、日本とアジア諸国に関する二つのリアルを予見した疑似ドキュメンタリーだったともいえる。今年の2月の国軍のクーデターによりミャンマー市民の不安は的中する。一般市民に対する軍隊の激しい武力弾圧のニュースは、今日も報じられ続けられ、日本に救いを求める彼らの声もはっきりと我々に聞こえている。もう一つは3月に名古屋の入国管理事務所で起きたスリランカ人女性の死亡事案。入国待機者の実態とともに法務省の調査方報告の不備が指摘され、日本政府は進めていた出入国管理法改正案の今国会での成立を断念した。つい先日、5月18日のことだ。

2021年6月7日記

(評価:★4)

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