[コメント] イラク―ヤシの影で(2005/豪)
「私たち」は開かれた先進国で、自由な情報で、すべてを熟知していたはずだった。「私たち」は彼等の故郷にいったい何をしてしまったのだろう。
私はドキュメンタンリーという映画の胡散臭さを知っている。映し出される映像は真実に間違いないが、わずかなフレームに「どの部分」を切り取って収めるかで監督の裁量が出るからだ。
本作はその意味では期待を裏切られる。監督の恣意性が感じられないのだ。ある方向に持っていこうというような作家性が見えてこないのである。当然、彼等の意図は反戦であり、反米であり・・・なのだろうが、そういう青い主張は伝わってこない。
それはあまりにもランダムに市民生活を追うというスタイルが一貫性を欠いているからだろう。だが、そのランダムな取材(編集)は前半の戦争前の「平和」な市民生活を追っている時に効果を発揮した。
その平和の羅列にしか過ぎない映像集は、ある意味私には衝撃だった。私は当時、そして今も続くイラクのニュースにかなり興味を持って見ていると思っていた。開戦前、日本のTV局も独自の取材で現地からの映像を多く流していた(はず)だった。しかし、本作で見たイラクの映像は想像を超えたものだった。
「普通の国」
そう、独裁と狂信の民ばかりがイメージされた国家とはかけ離れた「普通の国」だった。
結果は誰でも知っている。結局、大量殺戮兵器は存在しなかったし、宗派に分かれて内戦という殺し合いをしているし、今でも米兵が戦死している。
遠い将来、世界史のトリビアで「勘違いによって滅ぼされた国」として笑い話の種になるしかないようなブラックジョークだったイラク侵攻。
「私たち」は開かれた先進国で、自由な情報で、すべてを熟知していたはずだった。「私たち」は彼等の故郷にいったい何をしてしまったのだろう。
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