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[コメント] 皇室と戦争とわが民族(1960/日)

昭和天皇を一貫した平和主義者として賛辞を贈る本作。だが裏返せばその元首としての指導力の無さをも露呈する。そうは言っても、昭和の作品を平成の世から斬る事に哀しさを覚える。
sawa:38

制作されたのは昭和35年、現天皇陛下である浩宮が生まれた直後の作品である。

前半は第二次大戦の開戦から敗戦に至る過程の昭和天皇の関わりを描く。天皇は一貫して平和を望んだが、君側の奸に引きずられ、また時勢の流れによってやむなく開戦を了承する。さらに終戦の段になっては本土決戦を主張する強硬派に再三の再考を求め、遂には御聖断という形でポツダム宣言を受諾するよう命じた。

ナレーションは天皇の御聖断によって多くの国民が救われた事を感謝する。

平成の世から観て、違和感を覚える。否、正確には平成の世になったからこそ違和感を口に出せるようになった。昭和天皇が逝去されて18年。まだまだタブーは多い。あと30年もすれば戦後日本の最大のタブーである「天皇の戦争責任」も公に論議される日が来るのだろうか?

ただ、この作品の圧巻は後半のドキュメンタリー部にこそある。

前半のドラマ部では天皇の姿を一切写さなかった(誰も演じなかった)のに対し、後半では「人間宣言」した昭和天皇が全国各地を行幸する様が流される。そこに集まる一般市民たちの群・群・群。彼等は天皇に手を振り、涙を流して歓迎する。

平成の世の昭和天皇を「記号」としてしか知らない者からみると、彼等市民に違和感を感じる。「戦争責任」などと気軽に口にだしてしまえる世代に対して、彼等は戦争で家族を失った直後の生き残りである。天皇の赤子として「天皇陛下万歳」を唱えて父や兄や息子が奪われていった「被害者」ではなかったのか?ここに平成と昭和の感覚の落差を感じずにはいられない。

平成の世で雅子妃や愛子様に手を振るのとは根本的に違う。昭和天皇は贖罪の旅を続けたが、米軍のMPに警備される天皇を、市民は「被害者」として迎える事はせず、「共犯者」として同じ贖罪の意識を持って迎えた気がしてならない。

一部の指導者を戦争犯罪人として処罰された日本人。この極東裁判によって一般の国民は「被害者」として認定された。その免罪符は現代でも大手を振って利用されている。そんな「被害者」たちが改めて「天皇陛下万歳」を唱える映像。ここが難しい。

昭和の空気を知っている私の年代からしても、この空気感を正確に解釈するのは難しい。ただひとつ言えるのは米軍が昭和天皇を戦犯に指名しなかった事実はこの60年間の日本の歩みを考えた時、大いなる成功だったのではないか。現在のイラクでフセイン元大統領に死刑判決を出したのとは対称的である。

(評価:★2)

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