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[コメント] 黄昏(1981/米)

現実世界に浸蝕する作品ってのはなあ。とは思うのですが、出来の良さは確かで。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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 アーネスト=トンプソン原作の舞台劇の映画化(脚本はトンプソン自身が行ってる)。物語的には大きく盛り上がるところのない作品だが、その分演技者の力量に全てが任せられており、それを見事に演じた三人の演技力の賜物である。1982年全米興行成績3位。

 西部劇時代にヒーローとして名の売れたヘンリー=フォンダであるが、家庭的には決して良い父ではなかった。ジェーンおよびピーターはヘンリーの二番目の妻フランシスの間の子だったが、幼い頃父の浮気が引き金で母が自殺したという悲劇を引きずっており、ヘンリーを憎んでいたという。殊更ジェーンが社会運動にのめり込んでいったり、数多くの俳優と浮き名を流していったのも、一説には父親に対する反発からとされてもいる。だが、そんなジェーンも、父の寿命を知るに至り、和解の糸口を探していたらしい。事実この作品はヘンリーのためにジェーンが見つけてきたもので、映画化権を手に入れたのみならず、キャサリン=ヘップバーンとの初共演をプレゼントする。それだけでなく、同じ映画に自分も共演することで和解の道を探ったと言われている。

 この辺は父と娘の関係で余人がうかがい知ることは出来ないことだが、わだかまりを持ったまま別れたくない。というジェーンの意思力がなした事なのだろう。

 しかし、そんな二人の関係を象徴するかのように、本作の撮影は難航したらしい。ジェーンはこれこそ自分と父の関係だと、役柄に自分自身を投影したが(これがジェーンの役作りの特徴で、『コールガール』(1971)では実地訓練まで行っているくらい)、それがニューシネマを通り過ぎた映画作りでは重要な要素だったのだが、ヘンリーはそう言う意味では極めて古いタイプの演技者であり、そう言う意味ではあくまでプロ意識を持つヘンリーはジェーンにかなり反発したらしい。それが良く現れているのは劇中の二人の和解のシークェンスで、本当の感情をむき出しにして父に食ってかかるチェルシーを戸惑い気味に見て、急に目をそらすノーマンの姿が描かれているシーン。これは感情を込めてのジェーンの演技に、ヘンリーが耐えられなくなってしまったようにも見える。

 しかし、演技としては流石。いつも通っていた散歩道で家に帰る道を忘れ、自分が老いてしまったという事実に気付かされ、愕然とするシーンなんかは素の演技じゃないか?と思わせるくらい。

 しかし、それ以上に演技者として上手かったのはやっぱりヘップバーンの方。この時点でもう70を超えていたはずだが、優しく包容力があるだけじゃなく、時に意地悪で時に子供っぽい表情を浮かべる演技は流石に文句なしの名演。

 …ただそれ以外はどって事無い至ってシンプルな作品で、静かに静かに進行する作品なのだが、こういう家族の再生の物語は私にとってはもろにツボ。見事にストライクゾーンに入ってしまった。評価はどうしても甘くなってしまう。現実世界を映画の世界に持ち込むのは私なりには嫌いなんだけど、ここまでの名演を見せられたとあっては、どうしても点数は高くなるね。

 この年のアカデミー賞は本作が焦点になっていた。無冠の帝王と呼ばれたヘンリーがようやく主演男優賞を得られるか。ヘンリーとジェーン親子の同時ノミネートのみならず、ヘップバーンが史上初の四度目のオスカー受賞となるか。それともジェーンが三つ目のオスカーを受賞してヘップバーンに並ぶか。と数々の波乱を含んでの授賞式だった(それにこの年は作品賞候補に『レッズ』、『炎のランナー』があり、何が受賞するのか全く分からない年だった)。結果、ヘンリーは見事初受賞。ヘップバーンは四度目の受賞を勝ち得た。ただし、ヘンリーは授賞式の夜には既に病気で動けなくなっており、ジェーンが代わりに受け取ったという。

 尚、劇中ヘンリーがかぶっている帽子はヘップバーンが贈ったもので、元は彼女と公私ともに密接な関係にあったスペンサー=トレイシーのものだった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ナム太郎[*]

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