[コメント] 淑女と髯(1931/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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小津監督作品は戦前、戦後で映画の描き方が少々違っているような印象を受ける。戦前作品は時代の先端を走るモダンな感覚を出し、戦後になると古き良き時代の方に重きを置いているように思える。
しかし、これらを通して一貫しているのは、新しい価値観と古き価値観のぶつかり合いについて。
監督は自分のいる場所をよく分かっていたのではないだろうか?戦前のモダンさも、戦後の懐古主義も、実は監督の立ち位置は全然変わってないのかも知れない。戦前は時代の先にあった監督の立ち位置が、時代が進むに従い、同じ立ち位置でも時代の方が先に行ってしまったのかも。
監督はそこで無理をせず、自分のスタンスを変えることなく一貫して自分の映画を作っていったのだろう。自分の今立っている位置をはっきり認識していたためだ。
それで時代性のぶつかり合いが監督のスタンスであるならば、本作はそのバランスが大変良く保たれている。
この作品の主人公岡島は、髯のお陰で、一見まさに古い価値観の典型のように見える。周囲もそう見ていて、だから新しい価値観を受け入れようとしている女性達からすれば、ほとんど野獣のような存在で、見せ物か、あるいは自分たちに襲いかかってくる存在としか見ていない。
しかし、実の話、彼ほど新しい男はいなかった。
いや、これは単に流行を受け入れるという意味で新しいと言うのではなく、彼は大変重要な心を持つと言う点にこそある。彼はどんなものをもしっかり受け止め、それを自分の価値観の中でしっかり取捨選択して、自分の中で消化出来ている(考えてみると、これこそが小津監督自身のスタンスだったような気がする)。
彼は人間を偏見なく、人間としてみている。だから彼は外見とか、今その人がやっていることで判断はせず、それが街の不良娘であれ、大金持ちの娘であれ、つきあい方を変えていない。その中でありのままの人を愛そうとする。日本の伝統を受け継いでいながら、最大の自由人の姿がそこにはあった。
ありのままの自分を人に見せることに何のためらいも持たず、逆にそれによって相手の本性を受け入れようとしていた。
これはコメディには違いないけど、実は新しい価値観を受け入れる事に関するプラス面を最大限表現しようとしていたのかも知れない。そう言う意味で、本作は大変興味深い作品だった。
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