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[コメント] 華麗なるギャツビー(1974/米)

少なくともクレイトン監督は自分の映画を作りましたね。合わない素材で。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 レッドフォードは俳優としても監督としても一流だとは思っているが、結構アラの目立つ役も多い。これはレッドフォードが特殊な芸域を持っているからだと思う。レッドフォードの役づくりは独特で、自分なりのイメージをふくらませ、自分のキャラクタとして役を演じるのだが、自分が「これだ」と思った役に固執してしまい、結果原作とはずいぶん違った人物像を作り上げてしまうことになる。それがうまくいくこともあって、それは傑作となるのだが、時として外れも出てしまう。残念ながら本作はその外れに位置してしまう。

 原作のギャツビーはもっと若さと言うか、かなりの“青臭さ”を感じさせる人物。彼はただデイジーともう一度出会いたい。もう一度愛を確かめたい。というそれだけの理由で慣れぬパーティを毎晩開き、いつかデイジーが来てくれることを待ち、気持ちを確かめあったら、もう後のことはすべてうっちゃって彼女に夢中になり続けるタイプの人間。ものすごく奥手で、情熱的な男。

 しかし、レッドフォードは原作の冒頭の謎めいた男という部分のみをふくらませてしまったのか、彼を余裕を持ち、宴会慣れした人好きのする人物として演じてしまった。不安定さこそが魅力の人物を安定化させてしまった。それがレッドフォードなりのギャツビー像だったのだろうが、それがかなりの違和感をもたらしてしまっている。

 演出面で言っても、猥雑さよりも芸術に力を入れた作りは、画面画面は美しいものの、物語の本質をぼかしてしまった感じがある。いかにも美しく描かれた不倫描写は、どうにも気分的に萎えてしまうし、感情面で力を入れるべきところを画ばかりが目立つようになってしまったのも、狙いが違うんじゃないだろうか。クレイトン監督は幻想的な絵のつくり方は長けているのだが、果たしてそれが本作に合っていたかというと、はなはだ疑問。

 お陰で極めてアンバランスな作品となってしまった。

(評価:★3)

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