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[コメント] 巴里の女性(1923/米)

悲劇と喜劇は紙一重。チャップリンはそれを確信犯で使っていたのではないでしょうか?
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 チャップリンが設立したユナイテッド・アーティストの、自ら監督での第1作。初めて自分以外を主役にチャップリンが自ら原作脚色、監督をした作品で、喜劇ではない社会劇を作り上げた。

 確かにこれは喜劇ではなく、転落した女性を主人公として、本当の意味での再生を描いたドラマである。それは良いのだが、やはり“喜劇王”と言われるだけあって、この作品も設定だけはコメディ的。

 逆に言えば、喜劇とは裏返せば容易に悲劇になり得るという裏付けとも言えるだろう。例えば同じ素材でも実力ある人間が作れば、そのどちらも作り得るのだ。それをチャップリンは自ら証明して見せた。

 本作の重要な設定は最初の列車に乗るシーンで、この時に彼女は彼を待てば良かったのだが、それが出来なかったが故に全ての運命が狂ってしまった。人生のすれ違いとは、なんと簡単におこってしまうのだろう。そして転落とはなんと簡単で、そこから這い上がるのはどれだけ難しいことか…

 そしてその這い上がることが出来る人間の姿を描くことで、最後は明らかに人間讃歌へと持って行っている。最後、転落した原因となった成金のピエールとマリーがすれ違うシーンがあるが、その際のマリーの目線のしっかりしていること。今から観るとちょっとわざとらしくはあるけど、上手い作品だよ。

 上手い作品だよ。話自体は結構きついけど、最後まで目をそらさずに作り上げたという事実に拍手を送ろう。

 これまでいくつもの自分の作品のヒロインとして用いてきたパーヴィアンスに対するプレゼントって意味もあったんじゃないかな?対して成金のピエールはチャップリン自身を示しているようにも思えてしまう。面白い対比である。

(評価:★4)

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