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[コメント] ラストタンゴ・イン・パリ(1972/伊=仏)

当時どれほどセンセーショナルな作品だったとしても、今観ると単に退屈なだけでした。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 1972年に公開された世界的問題作。この映画が芸術か猥褻かを巡り、イタリアでは裁判沙汰にまで鳴ってしまったという本当の問題作だった(ちなみにこの裁判ではブランドとシュナイダーは二人とも有罪判決を食らってしまった)。

 本作も又映画史を語る上では避けることの出来ない重要な転換点になったのは確か。これまでにも映画の中でヌードや男女の営みを描写することはなされてきたし、『キャンディ』(1968)などそれを主題とした作品もあった。だが、それは基本的に暗示で終わらされ、実際の行為を直接描くことはなるだけ避けられてきた。倫理面からもそうだが、商業的に言ってもプラスにはならなかったから。ポルノを観たいのならばポルノ映画に行け。というスタンスを映画界は持っていたわけだ。

 それが崩れたのが丁度この1972年という年になる。日本では老舗映画製作会社日活がポルノ路線へと足を踏み出したし、更に相当な問題作となった本作が認められることにより、積極的に映画の中でヌードやセックスシーンの取り入れが始まっていくことになる。これまで避けられてきた映画にエロチックさを取り入れる丁度転換点となった年であり、その先鞭を付けたのが本作だったと言うことになるだろう。

 映画史的意味合いは大変大きな作品だと言える。

 ただ、今になって本作を観ると、なんかとっても退屈なだけの作品としてしか印象が残らない。

 ベルトルッチ作品らしく、細かいところに配慮が行き届いた画面構成や美しさもあるが、この長さを情事だけの話にしてしまうと、とてもだれる。

 情事に関しては鉄人並の体力と開発意欲がある男も、その面の姿はうらぶれた親父であり、しかも妻の自殺について悶々と考えるだけ。セックスフレンドを自認している女に対してでさえ、最後は未練がましくくっついて回るストーカーと化する。これってマニアックな中年親父そのもののように見えるだけなんだけど…なんでもどこかの本を読んでたら、これって停滞感をもたらしている西欧文明を示してるとか書かれていたけど、私にはあんまりそうは見えなかった。

 一方、若い女性の方を演じたシュナイダーは当時の雰囲気を良く出していたと思う。70年代前半はアメリカで起こったヒッピー文化が世界中に浸透していった時代に当たり、ジャンヌもそう言う感化を受けていたのだろう。しかし、同時に確固とした世界からも離れたくないと思い、中途半端な立場に自分自身を置いている。それで下した結論が“心と体を別に考える”というものだったのではないか?だからこそ、愛する婚約者の前では清楚な自分を、そしてポールの前では自分の欲望全てをさらけ出している。だけど、こういう二重生活は破綻していく。外側からの圧力によってではなく、自分自身の精神が引き裂かれて…

 とはいえ、これって日本のテレビメロドラマに良くあるパターンだと思ってしまうと、急激に醒めてしまうのも事実。それに映画だってベルトルッチのようにそれを“美”として描くのではなく、どろどろの愛憎劇に仕上げる日本人監督は既に何人だっていたのだ。

 根本的な問題として、私はメロドラマが嫌いなので、結局最後まではまることが出来なかったと言うだけなのかもしれないけど。

 もちろんベルトルッチらしさは充分堪能できたから、それで良しとすべきか。

 なお、本作でブランドは興行収入の11.3%というハリウッド最高額の出演料を取る事になり、以降「ハリウッド一の高額出演料役者」という肩書きが付くようになる。

(評価:★3)

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