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[コメント] 裸足の1500マイル(2002/豪)

ごめん、何がやりたいの?製作者さん。 2003年4月12日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







劇場予告では、なかなか良い雰囲気だったので、どんなものかと見に行った。上映前の予告では『WATARIDORI』の予告が入っており、その映像の凄さに圧倒されていたせいかもしれないが、この映画。全く面白くなかった。

少女たちの「母親に会いたい」と言う眼差し、オーストラリアの広大な自然の映像等、見ごたえ十分の映像と演技、そして血を沸き立たす音楽。製作者側のテクニックと言うか、「見せ方」は十分見えてくる。加えて、事実に基づいた映画、である。

「昔は昔、オーストラリアの原住民アボリジニーの、白人との混血児は収容所で教育されていたそうな・・・」と、いう話を通して、昔の白人の悪行、と言うか、利己的な白人の「悪魔」の姿を描き出す。その描写と言うか、イメージが強すぎるせいか、劇中どんな白人が出てこようと、主人公たちと同じ様に白人を疑ってしまう。

そして、結局1人捕まってしまったものの、2人はどうにか故郷に帰りつけた訳だが、その後テロップでネビル(通称デビル(笑))のその後、そして主人公たちのその後を観客に教えた訳だ。

で、どしたの?何が描きたかったの?彼女たちの真っ直ぐな瞳に詰まっている「母に会いたい」という感情?確かに描けていた。しかし、他にもこの映画は何かを描こうとしているが、見事に失敗している気がする。

もしかしたら、白人に対する視点が主観的過ぎるのかもしれない。『戦場のピアニスト』は、駄作であるものの、ナチを主観的に描く訳でもなく、客観的に、「良い奴もいれば悪い奴もいる」と言うように描くのだが、この映画では、あまりに白人が悪役過ぎる。

別にそんな事良いのだが、その「白人=悪」と言う概念を観客に植え付けて、最後に何を訴えたかった?テロップ曰く、この政策のお陰でアボリジニーの人たちはアイデンティティを喪失したらしい。「かわいそう」と思う。多分誰だって思うだろう。しかも、それは事実であり、白人が行った歴史の一部である。アメリカに住み着く時にネイティブアメリカンを迫害した事と同じ様なもんだ。

で、その中を必死に歩きぬいて母に会う為に故郷に戻った少女。彼女たちを通して何を描きたかった?どうせ、泣かせて同情貰いたいだけだろ。白人批判して、それで何?この政策がアボリジニーに不幸をもたらした。だから何?原作があるらしい。原作は、この政策の被害を受けた当事者が書いているらしい。しかし、この映画にそんな物関係ない。ただ単純に監督か、もしくは脚本の力不足だろ。

何度も言うが、少女の眼差しから感じ取れる、まっすぐな感情は痛いほど伝わってくる。政策によって母から引き離された彼女たちの気持ちは伝わる。だけど、製作者は恐らくその感情だけを描きたかったのではないと思う。他にも伝えたい事があったのだと思う。アボリジニーの人たちに降りかかった白人と言う名の不条理。そして、その不条理に対して、怒りを感じるアボリジニー。それを見て、感情移入して、彼らと同じ様に怒りを覚える観客。

で、それを通して何がやりたいの?結局ただの「感動モノ」という部類に分類される映画に成り下がっている。もっと何かが描けたはずなのに。題材は素晴らしいし、アボリジニの人たちの怒りなんて、俺たちが想像できないほどの物だと思う。この映画の奥を考えれば、★2は少し厳しすぎるが、あくまで映画。小説ではない。面白くないのだから、★2をつける。安易な感動モノなんて期待していないのだよ、フィリップ・ノイス

しかも、ラストじゃ、砂漠で倒れて、なぜか突然故郷に帰り着いているし。まっ、そこの所の説明不足くらいは許すけどさ。

(評価:★2)

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