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[コメント] アフガン零年(2003/アフガニスタン=日=アイルランド)

冒頭、初っ端からの擬似(擬似ですよね?)ドキュメンタリーで一気に観客を作品の世界に引きずり込む。ホント、ビックリした。★はおまけ。 2004年7月29日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アフガニスタンの情勢等をあまり知らない俺なので、例外なくこの作品に描かれている世界が衝撃的だった。神とか宗教だとかが嫌いなので、この作品でしきりにタリバン兵士が飢えて腹を減らした子供たちに「神は偉大なり」だの叫ばせながらコーラン読ませてるのを見ると、神様だかアラーだか知らないが、ツバを吐きかけてやりたくなる。

徹底的に残酷に救いなく物語を描く。しかし、監督自らのコメントにも書かれている様に、これは現実の物語であり、残酷で救いが無いからと言って目を背ける事を許さない世界なのだ。ハッピーエンドなんて存在しない。ソレが現実のアフガニスタンだから、ラストは徹底的に救いが無い。「お母さん」と叫びながら泣いた所で自らが救われる訳でもない。切り落とした自分の長髪を植木鉢に飢えて眺めた所で、「少年」に成りすました自分自身が変わる訳でもない。

生きる為に自分自身を捨てる。一体何の為に生きているのだろうか?否、コレこそが「生きる」と言う行為そのものなのかもしれない。そんな精神世界的な問いかけ、アイデンティティだの何だのほざくのは飯食って布団で寝てダラダラやってる奴の考える事か。時間と金を浪費し、文明の恩恵に依存している金持ちの考える事かもしれない。

この映画の主人公はひたすら生きている。しかし、生きているからこそ痛々しい現実。見ている俺は一体何が出来るのだろうか。

タリバン政権は終わり、この様な映画を製作する事が出来るようになった。女性達の地位も、タリバン政権下の時より少しはマシになっているはずだ。しかし、それでも心におった深い傷はマシになる事は無いだろう。

俺達がのうのうと生きている裏側では、こんな事が日常に起きている。

ただし、俺はこの作品が作られた意義も感じ取れるし、価値も認めるのだが、映画としてどうか、と言われるとちょっと困る。どうもジャーナリスティック、と言うか告発、と言うか、ニュース映像的に事実だけを延々と見せられるだけ、と言う物には、さすがに映画的な魅力はあまり感じない。

だって、世界中の、っていうか先進国の金を浪費している連中にこの作品を見せれば、そりゃ高い評価を受けるだろうよ。だって、衝撃的な残酷な世界を見せ付けるのだから。別にこの作品を批判するつもりはない。この様な作品は作られるべきだと思うし、価値がある。

しかし、そこにドラマがあっただろうか。あまりに救いの無いラストシーン。生きているからこそ辛い、と言う残酷なラストが物語るのはアフガニスタンの救いの無い現実。

果たして映画が、現実を見せる事だけで終わって良いのだろうか?何か映画としては物足りなさを感じた・・・。

って、こんな考え方している地点で、俺は金を浪費して世界の裏側で起きている悲劇に目をつぶってるだけのぼんくらでしかないのかもしれない。

(評価:★4)

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