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[コメント] LOFT ロフト(2005/日)

快楽で映画はできている。(なぜか『悪魔のいけにえ2』のラストにも言及→)(2007.2.19)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 とりあえず、野暮ったいですが、回を重ねるごとに外聞をはばからない凶悪化と偉大なるマンネリ化を続ける黒沢清監督の映画記憶を垣間見ましょう。のっけから裏にそびえる大学研修室が古典ホラー映画の洋館の趣。機械ギャリギャリ(ゴミ処理機、クレーン)、引き戸ガシャーン!のまんまトビー・フーパーな偏愛が全編を彩り、森の奥には『13日の金曜日』か何かから借りてきたような沼の桟橋が待ち受け、男女が手を握り合えば50年代ハリウッド風メロドラマが唐突に始まり、クライマックスには火曜サスペンス劇場ばりのナイスタイミングで警察が駆け付ける。・・・いやはや、ここまで来ると、気持ちのいい限りです。

 さて、前置きはこのくらいにして、本題。

 この映画の主役は妄想です。中谷美紀演じるスランプ作家が、深夜にミイラを運ぶ大学教授(豊川悦司)を目撃するところから妄想が始まります。長身の豊川のこの登場はクラシカルな怪人を思わせます。「誰だ!ここで何をしている!」「預かって欲しいものがあります・・・ミイラです」とステレオタイプな怪しさに中谷美紀の妄想も膨らみます。しかし、豊川自身がミイラに憑かれた人物であることが明かされ、ミイラと安達裕美演じる謎の女への恐怖を通じて中谷と豊川に共同妄想戦線が張られることになります。ところが、そもそも新参者である中谷はミイラや安達に根本的な因縁はなく、対ミイラ妄想において実は脇役です。ここで中谷の妄想を通り越して豊川が原初の妄想の持ち主となります。

 「自由になる」というキーワード。中谷と豊川の二人は新しい始まりに立つことを、癒しを求めています。二人の前に立ちはだかるのは、「美」というアイデンティティへの執念を1000年抱え続けるミイラ。「自由」とはそんな「自分はこうでなくっちゃ!」というアイデンティティの外へ踏み出ることのようです。ところが、この映画中において、中谷美紀のアイデンティティは「スランプ中の純文学作家」ですが、豊川悦司のそもそものアイデンティティは残念ながら「ミイラを抱えた隣人」でした。二人は一時一つの妄想を共有し、ロマンスが生まれますが、ミイラと自分との間に「プライド」という関連性を見ていた中谷美紀に対して、元来ミイラの付随物として登場したトヨエツはミイラを手放したことでむしろ不安定なアイデンティティに囚われてしまいます。中谷はミイラを通じて自分を見直すことが出来ますが、豊川はそもそもミイラを通じて現れていた存在だったのです。そろそろ「俺は一体誰なんだぁー!?」というトヨエツの心の叫びが聞こえて来ました。

 そして、ラストのあの「あーーッ!?」。トヨエツの苦悩にもはや映画的解決を与えることなど出来ません。あり得るのは、映画的解決の放棄、という異なる層での映画的解決です。つまり、壊れます。これはいわば『悪魔のいけにえ2』においてデニス・ホッパーの狂気がレザーフェイス一家の狂気と均衡した結果、遊園地はぶっ壊れ、ヒロインはチェーンソーを掲げて雄叫びを上げるという事態と似ています(多分ね)。要するに、最高に映画的興奮が沸き起こる瞬間なのです。爽快!!

(評価:★5)

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