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[コメント] EUREKA(2000/日)

発見した瞬間、再生へ繋がる。つまり終わると同時に始まる映画。この映画には神もなにも存在はしない、ただ傷の癒えない者同士が寄り添いながら、彼等なりのやりかたを探し、彼等なりにやろうとしているだけだ。
教祖

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この映画は2回観ました。長尺ですけど映画で傷付き、苦しみ、寄り添い・・・と、更に彼等だけの世界を描くってのには妥当、もしくは短いくらいの時間ではないでしょうか? この映画は見守るような映画です。それも神とかそういう大袈裟なものではなくて、「運転手の父」のように、何も語らず自分のやりたいように、好きなようにやらせる。そういう視点で描かれていると思いました。 従兄弟は「解っていないのに知ったような」、でも本人には自覚がないのでしょう。現代人に多いタイプです、理屈で解決しようとする。相手の気持ちも、自分の気持ちも理屈で、それも自分の中で結論を出している。現に人の心に土足で入り込むようにして唐突に「カメラ」を向けたり、「勉強」を押し付け、自分の価値観で「説教」を始める。 肉親にして肉親ではない「運転手の兄」。小津映画っぽいですね、何も 解ろうとしない。自分が大事なんです。 運転手は自分の居場所は彼等しか無い、会ったのはあの時のバスだけだったのにそう感じたと思います。「彼等も僕と同じで傷付き、場所が無い」

この映画では最後に阿蘇・大観望が出てきます。地元熊本なんですけど素晴らしいですよ、まさしく癒されます。まぁそれにしてもこの映画、阿蘇を何度行ったり来たりしているのやら(笑 でもそれだけ発見には時間がかかるのですね。 雄大な自然と時間、そして彼等だけのちいさな「繋がり」が力を与え、「発見」に転じ「再生」へと流れていったんですね。 熊本に来たさいには、是非阿蘇を。

蛇足。宗像の人間は「シゲチャン」のような武闘派が多いです(笑

(評価:★5)

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