[コメント] 淑女は何を忘れたか(1937/日)
桑野通子のコートとソフト帽姿が格好良い。有閑婦人たち−栗島すみ子に飯田蝶子と吉川満子が加わって無駄話をするシーンのやりとりも小津ならでは歯切れのよさ。三人ともいつもながら巧い。またこのラストは実に味わい深い。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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小津は『一人息子』で小市民の生活の悲哀を描いた後、このような裕福な家庭を舞台にしたセックス・ウォー・コメディを製作し、バランスを取る。もっともバランスを取ったのは小津自身の中であって当時の観客にこの映画がどこまで受容されたのだろうか。
セックスの暗示で終わる映画。ラストカットは柱時計の音に合わせて部屋の電灯が消え、廊下の向こうに斎藤達雄が行き来し、栗島すみ子がコーヒーを入れた盆を運ぶ。なんと愉快なラストシーンだろう。『東京物語』がレオ・マッケリーの『明日は来らず』(1937)の換骨奪胎であることは周知の事実だが、本作のラストの柱時計の使い方は、同じマッケリーの『新婚道中記』(1936)のラストを想起せずにはいられない。
#栗島すみ子からフレドリック・マーチ、桑野通子からウィリアム・ポウエルの台詞がある。
#「I drink upon occasion, sometimes upon no occasion. <Don Quixote>」 バーの中の飾り物。『宗方姉妹』と同じ。
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