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[コメント] 花つみ日記(1939/日)

ブドウやリンゴなどの果物のスチル写真をバックにクレジット。クレジット開けは校庭の清掃風景。整列して歩きながら、箒で校庭を掃く女子たちを撮ったショットで、これがなかなかシュールな画面なのだ。しかも皆で合唱している。
ゑぎ

 この冒頭シーンで、栄子−高峰秀子(15歳頃)が一人だけバストショットで抜かれて繋がれる。ちなみに皆で合唱している歌は、この後、劇中、何度も使われる主題歌で、調べると「秋空にうたふ」という題名のようだ。本作は音楽映画でもある。

 校庭の端の水道で口をゆすぐ高峰の頭を押すメガネの女子は、石田民三作品常連の林喜美子。林といつも一緒にいる3人の同級生の中には、若き加藤治子(当時は御舟京子という名、17歳頃)がいる。彼女らは皆、大阪弁を喋る。続いて、先生(役名は梶山芙蓉)−葦原邦子が、東京からの転校生、みつる−清水美佐子を皆に紹介する。栄子とみつるの2人の家は、同じ方向で、一緒にバスに乗り、みつるに座るように云う栄子。窓から外を見る2人の表情がいい。翌日、学校の昇降口で、栄子は、みつるの靴を自分の下駄箱に一緒に入れてやる。靴が仲良しになった、と云う科白の可愛らしいこと。葦原先生が一人で主題歌「秋空にうたふ」を唄う場面では、校舎の下に、女学生たちが集まって来て皆で唄うのだ。伴奏が入っているので、これは完全にミュージカルシーンと云っていいだろう。縦構図(画面上部)で、3階ぐらいの窓に現れた葦原先生を配置する。

 栄子−高峰は、みつるとは標準語で喋り、他の同級生にはほとんど完璧な大阪弁を使う。ちょっと驚いていたら、2人が生國魂神社(いくたまさん)から出て来くるシーンで、小学校3年までは浅草にいたと栄子は云う。仲見世の切山椒が大好きだったと。みつるは、今度、東京にいるお兄さんに送ってもらうわ、と返すのだ。また、栄子の家は宗右衛門町の置屋、対して、みつるの母親はクリスチャンという設定で、みつるは栄子を誘って教会へ行く場面があり、その帰り道で「天国ってあるのかしら」という会話をするシーンも、終盤にフラッシュバックされる重要な部分だろう。このシーンでは、後景に(川の向こうに)大阪城が映っており、桜ノ宮あたりだと思われる。このような、終盤まで伏線のように使われる道具立ては、他にも中盤で連打される。栄子がもらう、みつるが作った指輪。みつるのお兄さんが送って来た切山椒。そして、先生への誕生日プレゼント−み つるが芙蓉の花を刺繍した壁掛けには、二人で渡すので、EとMのイニシャルを施すのだ。こういう道具立ての豊かさも本作の特徴的な部分だろう。

 二人で先生に誕生日プレゼントを渡す日。先生の家は大きな商家で、ピアノを弾きながら葦原が歌唱する場面がある(この歌は「秋の歌」というタイトル)。先に高峰だけが来ており、先生の歌に聞き入る高峰の表情が絶品だ。高峰の持って来た人形はクローデット・コルベールか?遅れて来たみつるは、高峰の抜けがけと思い、怒って帰る。翌日、二人が絶交宣言をするのも学校の下駄箱前。さらに栄子−高峰は登校してこなくなるのだ。毎日、下駄箱を見る、みつるのショットが反復される。林(メガネ)たちが、栄子は舞妓さんになった、と云う。

 後半は、栄子とみつるが仲直りできるのか、ということがテーマになるが、二人が期せずして信貴山へお参りをするシーケンスも素晴らしい。こゝでは、ケーブルカーの中の高峰が主題歌「秋空にうたふ」を唄い始め、山道をハイキングする、みつると一節ずつ唄うのをクロスカッティングで見せるのだ。しかも、徐々にアップになっていく。あと、みつるのお兄さんの出征の知らせを聞いた栄子が、病身を押して、道頓堀戎橋で千人針を作る(道行く人に頼んで一針ずつ縫ってもらう)場面にも驚かされる。途中で葦原がやってくるのだが、この俯瞰ショットは、ゲリラ撮影ではないか。夜になって、土砂降りの雨の中で続けられるのだが、過剰な雨の表現もいい。そして、最終盤の、先生とみつるが栄子の部屋に現れる場面、みつるが部屋の隅の何かに目を止めて、近寄っていく、というこの演出はたまらない。これには感激した。いやあ、良く出来た映画だと思う。暗転後ブドウの写真をバックに「をはり」と出る。

#備忘でその他の配役等を記述します。

・冒頭クレジットで製作主任で市川崑毛利正樹の名前がある。

・栄子−高峰の父母は、進藤英太郎伊達里子。二人ともコテコテの大阪弁。みつる−清水の父母は、大倉文雄三條利喜江

・先生の家の丁稚で花沢徳衛がワンシーンだけ出て来る。

(評価:★4)

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