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[コメント] てんやわんや(1950/日)

獅子文六の小説は既読で見る。例によって原作は、ほとんどうろ覚え。主人公の犬丸(ドッグさん)−佐野周二が、伊予宇和島へ行くことになる理由は変更されていると思ったが。
ゑぎ

 原作では、確か主人公は戦時中に情報局で勤務していたので、戦犯になることを恐れたのだと思う。映画では闇取引に関わったから、ということになっている。他は、こんな話だったかな?と思いながら見た。しかし、エンディングは地震のシーンがあるだろうとは思っていたので、無かったのには驚いた。

 さて、主人公の佐野周二の優柔不断ぶりも相変わらず見事なもんだが、何と云っても、会社の屋上で、セパレートの水着を着、横臥した姿で登場する淡島千景にはぶったまげた。これが映画デビューなのだ。この時点で、既に大したもんだ。まったく物怖じせず、画面の中で弾け輝いている。大器の片鱗を見せつけられる。

 あと、序盤の東京のシーンでは、社長の志村喬が登場するバーの装置が面白い。テーブル席から見上げるかたちでガラス(透明)の通路があり、そこで水着ダンサーが踊るのを下から見ることができるようになっている。これって、スカート姿の方がもっとイヤらしさが出たとは思うが、セットは小さいが、日活映画のような美術だと思った。ちなみに本作の音楽は伊福部昭だが、東京の場面では、このバーのシーンでも、その後の、淡島が佐野にアタックする場面でも、トロイメライをジャズ風にアレンジした劇伴が流れている。

 プロットが伊予相生町へ移ってからは、原作の方が、もっと牧歌的だった印象があるのだが、藤原釜足の饅頭の大食い話や、坊主の薄田研二をリーダとする四国独立運動、三井弘次と大ウナギ、そして、桂木洋子の夜伽の話なんかは原作にもあった部分だと思う。しかし、この頃の桂木の可愛らしさは絶品だ(映画デビュー後2年ぐらい)。そして、佐野が食客として下宿する家の主、三島雅夫の大らかな雰囲気もいい。

 尚、終盤の祭りの場面がクライマックスで、大きな牛鬼の山車が街の中をねり歩き(引っ張られ)、地域対抗で、闘い合わせる、というような威勢のいいお祭りの風景が、ドキュメンタリータッチで写し撮られているのだが、いかんせん、画面は露光がメチャクチャ不統一で、ちょっと残念に感じられた。迫力はあるのだが。また、最初の方にも書いたが、エンディングについては原作の改変はいいとしても、かなり尻切れトンボの感が強くなってしまっている。

#備忘でその他配役等を記述

 冒頭シーンの佐野の同僚たちには、増田順二永井達郎永井秀明)がいる。伊予相生町という地名は架空の地名。三島雅夫の家の番頭さんは、清水一郎。相生楼の酌婦で望月美恵子望月優子)。彼女は坊主の薄田とデキている。散髪屋の亭主は三津田健。散髪屋は夜は社交ダンス場になる。桂木の父親は高堂国典で、母親は高松栄子。大きな鯛を持って来る漁師たちの親方は山路義人

(評価:★3)

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