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[コメント] 春の戯れ(1949/日)

横浜までの陸(おか)蒸気が最近開通した、という時期の品川が舞台。鉄道や汽車は一度も画面に映らないが、その存在は上手く見せる。開巻は徳川夢声のやっている飲み屋の場面だが、汽車が通過する際の振動で店の中の物が揺れる、という演出から始まる。
ゑぎ

 お話は、徳川の息子−宇野重吉とその幼馴染の高峰秀子との恋愛譚。高峰の登場は、徳川の店の前で蛤のむき身をこしらえている引いたショットだ。そこへ彼女の母親−飯田蝶子がやってきて、天秤棒を家に運ぶように云われる。道を行く高峰は、すれ違う人々に挨拶をしたり、逆に声をかけられたりし、越後屋−三島雅夫に呼び止められて、反物を見ていけ、と云われたりするが、こゝまでずっと、フルショットというかロングショットに近い構図だ。そこに、宇野が前から歩いて来て、やっと高峰のバストショットが挿入される。これは、山本らしい、よく考えられた、焦らし演出だと思った。

 本作は、高峰のことが好きだが、船乗りになって外国へ行きたいという夢のある宇野と、子供の頃から宇野のお嫁さんになりたいと想い続けて来た高峰の、逡巡と決断のお話だが、そこに、高峰に惚れている越後屋−三島が絡んで、とても切ないプロット展開を見せる。ちなみに高峰は19歳という設定で、三島は50歳ぐらいだろうと思うが、劇中随分と年寄り扱いをされている。三島が高峰の母親の飯田蝶子に、婚礼の話を切り出す場面では、飯田は自分のことだと勘違いして、シナを作るのだが、もらいたいのは娘だと分かって、打って変わって悪態をつき始める。このシーンは可笑しい。いつもの飯田蝶子の独壇場のようになる。

 また、徳川の飲み屋の裏は、横浜港へ出る早船の船着場になっていて、その側には海苔の天日干しのための干し台が並んでおり、こゝを舞台とした宇野と高峰の会話場面が何度も出て来て、たまらないシーンを作る。特に横浜に停泊中の外国船ノルマンディア号が出航する前夜の場面では、二人の会話シーンがクドイぐらい粘るのだが、宇野もだが、高峰の感情の振幅の演出には心打たれる。この場面の最後に、高峰が「うちにおいでよ。今日お母ちゃんいないんだ」という科白を吐くのだが、こゝの彼女の表情がたまらない。

 さて、梗概に深く関わる記述は上記までにしておこう。もう少しだけ、キャラ造型や画面で特筆すべきことを記載したい。まず書くべきは、三島雅夫のキャラクターに関することで、彼はとても善良な人だ、ということは書いておいていいだろう。それは、序盤のシーンからすぐに分ることなので、ネタバレでもないだろう。例えば、高峰を自分の膝に座らせるシーンは、どうなることか(抱きつくのか)と思ったが、一片のスケベ心もない、とは云えないかも知れないけれど、それ以上に高峰を心から可愛いと思っている、ということが良く伝わるシーンだ(それでもニコニコしている高峰含めてちょっと気持ち悪かったが)。

 あと、その他の脇役では、品川から横浜への早船を運営している鳥羽陽之助が、序盤から徳川と良い掛け合いを見せるし、宇野をノルマンディア号の船員にならないかと誘うボースン(水夫長)の江川宇礼雄の無国籍感も面白いが、何と云っても強烈なのは、飯田の妹(高峰の叔母)として出て来る、一の宮あつ子だ。全編一言の科白もなく、常に狂ったように踊り続けている、という扱いで、ロングショットの彼女からズームインし、仰角アップへ繋ぐ、という極端な演出まである。そして、ショットレベルで最も良いと思ったのは、品川駅へ走る高峰を後退移動でとらえたショットで、こゝは成瀬の『乱れる』のラストを彷彿とさせるショットになっている。橋(跨線橋?)のような場所で佇み、横浜へ出発する陸蒸気を見送る高峰。機関車は映らず、その通過は白煙だけで表現されるのだ。

(評価:★4)

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