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[コメント] をぢさん(1943/日)

本編前に標語「一億の誠で包め兵の家」が出る。工場の外観。フェンス越しのカット。こゝは鉛筆工場だ。芯が曲がることを「ひょっとこ」と云う。
ゑぎ

 若い工員を指導するベテランの河村黎吉。皆の手を止めて、演説する。「機械より人。大事なのは、技術だけでなく心」だと。もう冒頭で本作のテーマを語るのだ。

 河村の女房は大好きな飯田蝶子。本作でもこの二人の科白の掛け合いが大きな見どころだ。河村は工場から帰宅して、トマトの苗を持って、桑野通子の家へ行く。桑野は、河村がかつてお世話になった上司の未亡人で、今は息子と二人暮らし。河村が何かと気にかけている。ちょっと『無法松の一生』を彷彿とさせる。ちなみに映画の公開は、本作が1943年8月で、無法松の方は1943年10月のよう。

 さて、桑野は、若い娘を集めて、お針を教えている。その中で、河村に気安く話しかけてくる娘は、河野敏子(後の井川邦子)だ。河村は、桑野の息子(坊ちゃん)の船の模型作りを手伝おうとし、坊ちゃんを連れて、大工道具を借りに行く。大工は山路義人で、妻は若水絹子。最初は仕事の邪魔をする河村を煙たがっていた若水も、河村の世辞にうまく乗せられ機嫌が良くなる。そこに若い衆が三人来て、御神楽の奉納の話になる。この場面では、御神楽という言葉は、踊りを意味する。河村は、御神楽踊りの達人なのだ。「ひょっとこ」の面をつけた河村の踊りを皆で見る場面は、ちょっとシュールな場面でもある。

 御神楽踊りで腰を痛めたという河村と飯田の夕飯シーン。機嫌の悪い飯田との夫婦喧嘩の場面だ。飯田の顔を見たくないので、ハエ取り紙に新聞を貼って即席の衝立を作る河村だが、それを飯田に取られたので、今度は雑誌のページを破って貼る。すると、河村の顔がほころぶのだ。さらに、飯田も笑顔になる。河村側には高峰三枝子の写真、裏(飯田側)は上原謙だった、ということで、お互いにニンマリしながら食事を続けるという、松竹映画楽屋オチ。実は、このシーンが一番可笑しかった。

 あと、桑野の紹介で縁談が進んでいる飯田の弟−伊藤進介と許嫁−文谷千代子の話も織り込まれるのだが、飯田と桑野が、先方(文谷)の家に挨拶に行き、家系図を見せられたり、加藤清正に仕える武将だったという先祖が、秀吉から茶碗を頂戴した話を聞く。家に帰った飯田が、河村に秀吉の茶碗の話を伝えると、河村は「茶碗がなんでい、うちの先祖は、大前田長五郎の盃をもらったんだ」と云う。これにも笑った。

 といった感じで、やっぱり、河村と飯田のやりとりのシーンが本作の一番良い部分だと私は思う。後半以降は、河村が名古屋出張の土産で買ってきた饅頭のせいで、桑野のお坊ちゃんが重篤な状態になる、というプロット展開を見せる。この展開には無理やりな感も強いのだが、ただし、この前段で、飯田に土産の饅頭を一個だけ食べさせた後、まだ欲しがる飯田に対して「俺たちゃ、この歳まで、さんざん食べたんだから」と云って、残りを全部、坊ちゃんに持って行く、というような、些細な心根の描写に感動してしまうのだ。

(評価:★4)

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