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[コメント] 人形霊(2004/韓国)

イム・ウンギョンの愛らしさ。それが唯一、この映画を、娯楽の面でも、主題の面でも、救っている。あとは全てがB級である。哀しいほどに。
煽尼采

内容が、薄い。本来なら☆一つにしたいところだが、館の謎の少女を演じた、イム・ウンギョン、彼女の存在感と美しさに,☆一つ加算。彼女自身がお人形さんじゃないかと思ってしまう愛らしさ。当時既に二十歳になっていたようだけど、何か年齢不詳の少女性が漂う佇まい。

‘人間に捨てられた人形が復讐をする’というのがテーマの筈なんだけど、蓋を開けてみればこのテーマ、それほどキチンと映画の主軸になりきれていない観がある。むしろ、人形の薄気味悪さを濫用したB級ホラーという印象ばかりが目立つ。「出るぞ、出るぞ」と思えば何かが出るし、何かあるぞ、と思えば実際、何かあるし、ほとんど全てが想定内というか、ホラーとしては、定石的、あまりに定石的な映画。例によってまた貞子チックな恐怖シーンがあって、韓国のホラー監督は、そんなに『リング』が好きなのか?と思ってしまう。ただ、元々人形がかなり苦手な僕としては、何かありそうな雰囲気に緊張感が高まった所で、やっぱり怖いのが出てくるので、かなり手に汗握らされましたね。正直、『リング』(←映画版)よりこっちの方が怖い。尤も、細かい部分に低予算的な粗さが感じられ、CGや特殊メイクのウソ臭さには、興醒めさせられたけど。

それにしても、人形が怖いという感情は、どういう深層心理から来るものなのか。人形は、人の形をしながらも、同時に物であるという両義性があり、それは‘死体’と共通する側面。人形屋敷で惨殺される人間が、まるで壊れた人形のような屍と化してしまう描写には、人形そのものの怖さの一側面が表れているように思う。この映画に出てくる球体関節人形は、日本では以前、アニメ『イノセンス』の影響で、静かなブームになった事もあるけれど、その監督の押井さんも、同じような事を言っていた。「死体というのは、生物学的には死んでいるのかもしれないけど、あくまで人間の身体には違いないですよね。そう考えると、人形というのはそこまでカバーするものなのかと。人形が生きていないとするならば、実は一番向いているのは、死体の表現かなって思ったんです」(押井守『イノセンス創作ノート』)。

人形は、あたかも人格を持った存在のように感じられながらも、それは陶器の肌とガラスの目をした、壊れ物の物質。人の心持ちによって人格を与えられ、人が大切に扱う事で、物として在る事が出来る。つまり、二重の意味で完全に人に依存した存在なのが、人形というもの。死ぬ事の無い人形は、永遠に人の愛情を要求する存在なんですね。だから、人が人形を目の前にして感じる恐ろしさとは、何かに愛情を注ぎたいという感情と、いつ自分が心変わりして、対象に向ける感情を放棄してしまうか分からない、という自己懐疑とで、動揺させられてしまう事に起因している場合もあるのかも知れない。この映画は、その辺りの人の不安に、非常に巧くつけ込んでいる面があり(笑)、この辺をもっと心理的に追求していれば、もっともっと良い映画になった可能性があった筈。それが全く実現していないのが、惜しい。その辺りの、感情的な深みのある部分は、イム・ウンギョンがただ一人で担っている。彼女が泣く場面では、僕も泣きそうになっちゃいました。鑑賞後、映画自体の感想は思わしくないものの、イム・ウンギョンの、純粋に愛情だけを求める儚い存在感に、何か癒されたような、清らかな気持ちにさせられた。

「人形に死ぬという事はないわ。ただ、遠くに行ってしまうだけ…。存在とは、全て観念なのよ。この子がこの子であるという観念、ここにいるという確かな意識。この子が、ここは自分の居場所ではないと思ってしまったら、それは存在しないのと同じ。ただのモノになってしまう。それはとても寂しくて、暗くて、冷たくて、哀しい事…」 (『ローゼンメイデン』)

(評価:★2)

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