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[コメント] ブレイブ ワン(2007/米=豪)

これもポスト9.11的映画。法と暴力という主題を充分に展開し得ているとは思えないが、ヒロインのDJという職業を活かした「音」の使い方など、幾つか演出的に光る所がある。だが、演技力とは別に、ジョディ・フォスターは適役だったのかという疑問も。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の、ラジオDJ・エリカ(ジョディ・フォスター)の朗読する詩が語る、街の、忘れかけられた数々の伝説。ビルの窓ガラスに幻のように映る、波打つ街並みの像。本篇で最も感心させられたのもまた、エリカが越える境界線を、映像と音によって的確に描くその手法。

事の発端となるトンネルでの惨事では、エリカが恋人とトンネルに入る場面で、カメラは重力を失ったかのように揺れ動く。勿論これは観客の不安感を煽る常套手段であり、このカメラワークは後の場面で、エリカの不安の表現として反復される。事件のトラウマによって、外出に躊躇するようになったエリカが、狭い廊下を通って扉に向かうショットは、トンネルを通るショットに似た構図をとっている。更に、彼女が街を歩く場面では、光が目に痛いような強調された明るさにされている。エリカ自身が心理的に、夜のトンネルの暗さに沈んでいて、普通に明るい表を歩く事自体が苦痛であるのが感じ取れる。彼女が掛けるようになるサングラスは、エリカが闇と共にある徴なのだ。

劇中、エリカを監視するような遠景のショットが多用されているが、「映像的な監視」という点ではショット内に於いても、銃器店内の防犯カメラや、コンビニの防犯ミラーがエリカの姿を捉えている。この二つのシーンの直後に、エリカは法の一線を越える。銃器店で、登録済みの合法的な銃を手に入れるには三十日も待たなければならないと知らされた彼女は、非合法の銃を手に入れる。またコンビニでは、闖入してきた男が店員の女性を射殺して金を奪おうとした所で、防犯ミラーが捉えるのはエリカからこの男へと移る。つまり、法が監視すべき対象が移った訳だが、エリカを男の脅威から守ってくれたのは、法ではなく、彼女の持つ不法な銃。男を射殺したエリカは、防犯カメラの録画ビデオを盗んで店を出る。まさに、法の目を盗んだ訳だ。

だが、映像、という点で最初に目につくのは、法・公共性の目としてのそれではなく、エリカと恋人に残忍な暴力を振るう犯人達が、その様子をカメラで撮影していた行為だ。この動画は後にエリカの携帯電話に送信され、彼女の手で今度は刑事ショーン(テレンス・ハワード)へと送信される。物語の最後では、ショーンはエリカの復讐を容認するが、彼はそれまでは、闇の制裁者(エリカ)には賛同していなかった。彼の転身の伏線の一つが、この動画である筈。パブリックな視点から、プライヴェートな視点への転換という事だ。

伏線はこれだけではない。エリカが、ショーンから聞いた、法の手の及ばない犯罪者に制裁を加えた時、それ以前の殺人では残されていた、闇の制裁者の存在を示す弾丸が見つからず、ショーンの同僚も、今度の犯人は別人だろうと推測する。だがショーンは、事件当夜にエリカと電話で話していた事から、彼女に疑いの目を向ける。ここからショーンは、刑事という公的立場から闇の制裁者を見る視点から、友人としてエリカという一個人に向き合う事になる。ここでも、プライヴェートな視点への転換がある。

これに先立ってショーンは、弁護士である元妻(つまり個人的な関係があった)に、この男からその娘を引き離して保護する為に協力してくれと頼んで、断られている。つまり、弱い者を法が守ってくれない事、更には個人的な関係さえ断絶された事、この両方の事実を突きつけられていた。彼が最終的にエリカの味方についたのも、二つの理由があったと言える。

また、この制裁された男が、「誰に殺されてもおかしくない」ほど恨みを買っている人物である事や、エリカに救われた女が、ショーンに連れて来られたエリカの姿を見ても、自分が会ったのは「誰でもない人」だと告げる台詞等に見られるように、エリカは無名の声なき人々の願望を体現した存在でもある。この闇の制裁者をラジオで取り上げたエリカは、「ダークヒーロー」として人々の声と向かい合う。次々にスイッチを切り替えながらリスナーの声を浴びる、苦悶の表情の彼女は、倫理的葛藤の荒波の中でもがいているように見える。

声、或いは音も、この映画に於いて重要な要素(台詞内の「レディオヘッド」はご愛嬌だが)。彼女がショーンにインタビューする場面では、彼から「オフレコだ」と言われて録音機のスイッチを切る事で、法の手の及ばない犯罪者が野放しにされている事を知る。またエリカは、DJとして声だけはパブリックな存在である事で、その立場と、私刑を行なう者としての自分との狭間で引き裂かれる事にもなる。

更には、番組の素材として街の音を普段から収集している彼女は、自室でそれに耳を傾けもする。街というパブリックを、自室というプライヴェート空間へと持ち込んでいる訳だ。この録音に、彼女が偶然出会った不良達を射殺した音が入っている。それまで番組で詩に詠ってきた街への幻想が、自分を猥褻な言葉で侮辱する言葉や、それに向けて放たれた銃声によって破られるのだ。亡くなった恋人の幻影も、彼が無言で奏でるギターの音によって示される。

エリカが警察を信用しなくなる伏線としても、警察官や刑事が型通りに言う「辛いお気持ちはお察しします」とか「辛い目に遭われましたね」という言葉の平板な響きがある。この台詞は、犯罪を描いた映画やドラマで普段から僕ら自身もよく聞いているので、この台詞へのエリカの違和感に感情移入し易い。公的な声の冷たさ。同じ台詞を後にショーンが口にする時の、感情のこもった印象とはまるで違うのだ。

さて、そろそろ結末の問題に言及したい。ショーンは、自分の持つ合法的な銃をエリカに渡して犯人を射殺させ、復讐を遂げさせる。更に、自分が犯人達に襲われたので発砲した、と証言してエリカを庇う為、彼女に彼自身の肩を撃たせる。これは、法の執行者が自らの責務を果たし得ていない事への、一つの責任の取り方として描かれてもいるのだろう。この時、彼を撃とうとするエリカの手は、震えている。悪人達を撃つ時には震えていなかった手の、この震えこそ、エリカが闇の制裁者として行なっていた私刑へのアンチテーゼ、とまで言えるかはともかく、一つの躊躇、疑問符にはなっている。

ラスト・ショットでは、あの惨事の直前にトンネルの向こうに走って戻らなかった犬が、エリカと共にトンネルを歩いている。これだけなら、エリカが闇の制裁者から一女性に戻ったような印象を与えそうだが、彼女のナレーションは呟く、「もう元には戻れない」。brave という単語が「勇者」と共に「無法者」をも意味するように、映画の締めも両義的だ。

全篇を振り返ると、エリカの味方となるのが、恋人も含めて非白人や外国人に偏っている事に気づかされる。彼女の、社会から逸れ者となっていく立場を分かり易く可視化しているとも言えるが、また、アメリカが常に人種や国籍の入り乱れる世界の縮図でもある事を示唆しているようにも思える。彼女のラジオ番組にかかってきたリスナーの声に「イラクの教訓を忘れている」という言葉が出てきたり、アパートの隣人が、故郷では少年兵に親を撃たせていた、という話をしたり、そもそも物語の舞台が9.11の現場であるニューヨークであったりと、国際政治的な主題を匂わせている。だがその辺りは、表面を撫でる程度でしかなく、単に提示されているという域を出ない。

また、ジョディ・フォスターの演技力には全く文句のつけようがないのだが、それでも彼女が適役であったのかは疑問が残る。本作に於けるエリカという女性の描かれ方からすれば、もっとセクシャルで、か弱い印象のある女優の方が良かったのではないか。例えば、恋人との艶っぽい会話や、悪人どもから受ける性的な侮辱。悪人を撃った後に、フードを目深に被ってその場を去ったエリカが、トイレの鏡に向かって、口紅を頬につけ、タンクトップ姿で夜道を歩く場面は、その肌を晒す事に危険を感じていないという所に、銃を手にした彼女の自信が表れている筈なのだが、セクシャルな印象が元々乏しいジョディ・フォスターでは、その辺がもう一つ伝わり難い。

また、病院に担ぎ込まれたエリカが、治療の為に服を脱がされ、体に触れられる様子と、恋人との情事の回想とがマッチ・カットで繋がれる場面は、愛する人に身を委ねる無防備さと、暴力に対する無防備さが重ね合わされる、繊細にして残酷な、優れた描写ではあるのだが、そもそもジョディ・フォスターが、女として悦んで男に身を委ねるような性格に見えないので、効果が半減している。更に言えば、彼女が銃を構える姿は、凛々しく様になりすぎており、やむなく銃を手にした哀しみが感じられ難い。エリカの恋人の柔和な性格づけや、悪人達に虐げられるのが、少女を含む女性が主である事など、マチズモへの批判が感じられるのだが、当のエリカ自身がマッチョに過ぎるように思える。

脚本の方も、要は心情と建前の葛藤を描くというヒューマニズムに収束しており、防衛手段としての銃の抱える矛盾、という主題では『DEAR WENDY ディア・ウェンディ』、正義(justice)と制裁(justice)、法(law)と無法者(outlaw)、という主題では『ダークナイト』などと比べると、主題の抱える複雑性に分け入る、という点で見劣りし、問題提起としてもかなり弱い。ジョディ・フォスターの熱演を見せるより、もっと肝心な事があった筈。

(評価:★3)

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