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[コメント] 少年メリケンサック(2008/日)

本作の宮崎あおいのキュートさは絶対的。彼女のキュートさのバリエーションを次々に見せていくのが映画の主眼のような状態。パンク映画という点では大して熱いモノを感じる話でもないが、少年的中年たちは、宮崎の少女的母性の触媒とはなっている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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どの表情の宮崎も、実にキュート。時田社長(ユースケ・サンタマリア)と一緒のシーンで見せる、下手に出つつも懸命な頑張りぶり。恋人であるマコト(勝池涼)との、甘いキャピキャピ声でクネクネするバカップルぶり。アキオ(佐藤浩市)らをスカウトしにいくシーンでの、ビシッとしたスーツと眼鏡で完全武装しながらの空回りぶり。等々。

ユースケは、『踊る』シリーズの真下や『キサラギ』、テレビドラマの『アルジャーノンに花束を』のように、役柄そのものに何らかの抑制がかけられている場合は、意外といい働きをしたりもするのだが、本作の序盤、社長室での宮崎とのコント的な台詞の応酬では、タレントとしてのユースケのキャラそのままに過ぎ、“『ぷっ』すま”などで見かけるユースケと殆ど変わらない。第一、このシーン自体、あまりに演劇的なノリをそのまま導入していて、「演劇畑の演出家はいつになったら目が覚めるんだ!」と、画面に殴り込みをかけたくなる。

だが、このユースケとの応酬によってコロコロと表情を変える宮崎のキュートさ。それを引き出したという一点に於いて、この空回り気味なシーンも正当化され得る。「おっぱい触っちゃったー」の台詞も、触られた宮崎が逆に謝る転倒も含めて面白くも何ともないのだが、「おっぱい触りやがって!」と観客に嫉妬させつつ「ホモである」という設定によってその恨みをかわす絶妙さは、宮崎のアイドル映画としては巧い按配なのかもしれない。

宮崎の数々の表情の中でも、ぶらり旅気分なツアー中、ハルオ(木村祐一)との会話シーンで「初めて担当したバンドだから、なんか、お母さんみたいな気分になっちゃいました」と呟いた時の、母性の笑みが印象的。この宮崎=かんなの母性の目覚めは、たぶん本作の一つの軸でもあっただろう。それがオヤジどもの未成熟さの爆発と結合することによる作劇術。その象徴がジミー(田口トモロヲ)。アキオとハルオの兄弟ゲンカという子供っぽい衝突のとばっちりを受けて頭を強打したジミーは、歩けないわけでもないのに車椅子に乗せてもらったり、おんぶされたりし、アーとかウーとかしか言わず、涎は垂らすし、ライヴ会場を這い回るし、車で移動中に便意を訴えるし、と、完全に「手のかかる子供」としてキャラ付けされている。それはメンバー全員がそうだとも言えるのだが、このジミーが普通に歩き、話せるようになり、かんなという母の助けを必要としなくなったところで全てが振り出しに戻るラストは、話の構造上、必然なのだ。

かんなが一度愛想を尽かして離れた少年メリケンサックの許に再び戻るシーンでは、恋人・マサル(勝地涼)のキモ爽やかな歌声が響く中、自販機の前で財布の中の大量の五百円玉を見つけたことがきっかけとなるのだが、この、移動の車の中で屁をした罰金として徴収していた五百円は、つまりはそれだけ長い間、メンバーと一緒に狭い車内で一緒に過ごしてきたことの証しだ。この映画に一つケチをつけるとすれば、もう少しタイトにまとめてもよかったのではないか?という点があるのだが、ぬるい雰囲気のまま全国を旅するユルさと時間の堆積にも、それなりに意味があったのかも知れない。

明らかにGACKTのパロディであるTELYA(田辺誠一)のキャラ造形は幾分か空回り気味に思えるが、その自意識過剰なクールな振る舞いがもたらす緊張感を可笑しみに転換する辺りが秀逸。彼が低音で繰り返す“アンドロメダおまえ”の、呪いのようなフレーズも忘れ難い。

(評価:★3)

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