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[コメント] 蟹工船(2009/日)

時代的制約を排そうとしたと思しきSF的な舞台設定ながらも、ロシアの極楽浄土的イメージは他の何かに置き換えることもない半端な作劇に萎える。寓話性や普遍性をいうのなら、古い時代が舞台でも構わない筈。半端な造形と脚色で全てが戯画と化した屑作品。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







漁夫たちの、自分ちの不幸競争のシーンでは、同じような構図で撮られた貧乏家屋のボロさがエスカレートしていくユーモアが、彼らの苦境を戯画的な虚構の域にとどめてしまう。新庄(松田龍平)が皆に「俺たちはもう充分に耐えた」と集団自殺を持ちかけるシーンでは、それまで殆ど単なる労働シーン以上のものは見えていなかったので、死に希望を見出すほどの辛さに彼らが耐えてきたのだという説得力が皆無。今度生まれ変わったら金持ちの木村さんちに生まれたい、という新庄の計画に他の連中も縋りつく件は、明るい日差しの下でアハハとボールを投げ合う空想シーンも合わせて、悲惨さの裏返しとしての可笑しみが大して演出し得ていないので、終盤、撃たれた新庄に向かって塩田(新井浩文)が「木村さんち、想像できたのかよ!」と声をかけるシーンで試みられたのであろう、笑いが悲しみに転じることでの「泣かせ」も殆ど不発に終わっている。悲惨さをオブラートに包んで絵空事にしてしまうようなユーモアなど全く余計なものだった。結果、金持ちや資本家を批判するこの映画そのものが、『蟹工船』ブームに乗って金儲けを企む計画以上のものに見えないという矛盾を思わずにはいられなくなる。

カプセルホテルを模したという、労働者たちの寝床の造形も、雑然とした船内のセットにやや埋もれがちで、大して機能していない。カプセルホテルは、あの整然とした簡潔性と機能性が視覚化されていてこそインパクトがある筈。新庄と塩田がロシアの船で価値観を転換させられるシーンもまた、プロレタリアとしての自覚を促す存在が、胡散臭い中国人通訳(手塚とおる)、しかも中国人が見たら怒りそうな、ステレオタイプにも程があるだろうというくらいに戯画的な中国人キャラ。そいつが「〜ある」といちいち語尾に付ける話し方で延々と説く様は、そこに流れる安直でベタな劇伴と相俟って、本来ならば最も重要なシーンの一つである筈が、劇中最もキモいシーンになってしまっている。

(評価:★1)

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