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[コメント] 大いなる夜(1951/米)

一夜のサスペンス。一夜の成長物語。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主人公の青年ジョージー(ジョン・ドリュー・バリモア)は終始、一枚上手の大人の男たちに直面させられる。まずは彼の父アンディ(プレストン・フォスター)だが、その父がアル・ジャッジ(ハワード・セント・ジョン)なる男に裸にされて殴られるままでいる姿に幻滅した後も、ボクシング会場で知り合いになった髭の紳士「ドクター」は、青年が復讐をしようとしていることなどお見通しで、助言と助力を与えてくれるし、会場にいた詐欺師は、父の券をドクターに売ったことをネタに金を奪ってくるし、当の父の仇アルさえ、ボクシング会場で密かに襲いかかろうとしていた姿を実は鏡で見られていたことが後で分かる。加えてアルは、父アンディにも咎があったことを告げ、ジョージーに更なる幻滅を味わわせる。

さらに、ジョージーが抱いていた父への幻想は、父アンディ逮捕時の、母の存命などの真実の告白によって、三度壊されることになる。父のみならず、ドクターも実はジョージーの復讐について、アルに仕事を断られた仕返しなどという勘違いをしており、それを知ったドクターは狼狽した姿を見せるし、アルも、ジョージーの裏をかいて反撃したつもりが、却って自分が撃たれることになる。例の詐欺師もトイレで、ジョージーの激発による一撃で簡単に倒されてしまっていた。こうして、大人の男、象徴的な「父」たちが次々と失墜していく中、遂にアルを殺してしまったと思い込んだジョージーは、教会から出てきた神父に「Father」と縋りつくように呼びかけても、「後にしなさい」とかわされてしまうのだ。

ジョージーが女の子に「ミルクの匂いがする」とバカにされた後、父の店でミルクを出されること。突然のバースデーケーキの蝋燭を吹き消しきれないジョージーの非力と、その最後の一本の火が後のカットで、ジョージーの心に恐らく初めて灯った強い感情を暗示する被写体として用いられていること。突然店に現れたアルに呼ばれたアンディが、アルの許に歩いて行くカットでの、彼の歩く姿を追うカメラが、息子の誕生日を祝ってくれていた客たち一人一人の顔をもショットに収めていくこと。即ち、そうして顔を揃えてくれた客たちの前でアンディが侮辱を受けるという惨めさ。ジョージーとアルが部屋で一対一で対面するシーンでの、ランプシェードが倒れることによって照明が下方から当てられることによる、状況の変化と同時の視覚的変化。

それにしても、拳銃を手にしたジョージーが鏡の前で、アルの前に出た時の話し方を練習する姿は、彼がスーツを着るという視覚的変化で彼の心的変化を表わしている点も巧みなのだが、この場面でのジョージーの自己陶酔的な身振りが『タクシードライバー』でのデ・ニーロの名場面を彷彿とさせるのには驚かされた。やはりジョゼフ・ロージーは偉大な演出家だ。

ドクターに連れられたジョージーが、肌の黒い歌手や、紳士の恋人、その恋人の妹マリオン(ジョーン・ロリング)といった女たちと出逢っていくシークェンスは、それまでのサスペンスの緊張感や推進力がいったん宙に浮いてしまった印象がある。とはいえ、全ての出来事の発端が「アンディに結婚を断られた女の自死」であり、もっと言えばそれ以前の、アンディの妻が彼を捨てたことである点を踏まえれば、男たちの闘争劇とは別の時空間としての、女たちの世界を示す必要もあったのかも知れない。ジョージーがマリオンに向かって、父への想いを切々と涙ながらに語る長回しの場面は、演出としての巧みさと共に、この父権主義的な物語に潜むマザーコンプレックス、ないしは女への降伏という構図を焙り出してもいるのではないか。ジョージーが眠っている間にマリオンが彼の拳銃を隠してしまう場面では、ベタな解釈と思われそうだが、「去勢」という単語が脳裏をよぎったのも事実。

(評価:★4)

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