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[コメント] 劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ(2011/日)

以前、NHKで「かまってちゃん」のドキュメンタリーを観て、リアルタイムのネット配信等、幾らかは面白いけど個人的には興味無い存在だったが、そういうこと抜きにしても、この映画の取って付けた感は萎える。終盤のCG演出は完全に映画を嘗めている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







二階堂ふみが勝負を決める瞬間の、盤上に叩きつけられた将棋の駒から埃が舞う演出や、子供らがパソコン画面から飛び出す「かまってちゃん」のエネルギー電流(笑)に驚喜する演出等、これは演出としては最低の逃げの部類に属すると思う。電流て・・・・・・、シスの暗黒卿じゃないんだから。

子供らが「死にたいなー、生きたいなー、どっちでもいいやー」と歌うシーンで、ああこりゃお母さんがたが騒ぎ出すなと思ったわけですが、「の子」同様にパソコンにかじりつき続けている少年(父無し、母多忙の寂しさゆえに)が「かまってちゃん」をきっかけに話題の中心になる構図はまあ取り敢えず「現代的」かつ「かまってちゃん」を映画に導入する手法としては理解できる。とはいえ、園児らが「かまってちゃん」に関心を示すシーンがあまりにぞんざいで、まさに「取って付けた」感の最たるもの。

結局、何で「劇場版」にしたかったのか・・・・・・その魂がまるで伝わらない。例のドキュメンタリーで、監督から「叫んで」と言われて、自然と湧き上がるアレも無く叫ぶ「の子」の姿が描かれていたのが記憶に残っているのだけど、何だかこの映画自体、劇中で描かれていたタイアップ企画と五十歩百歩のようにも思えなくはない。少年の母が「かまってちゃん」を聴いて気合を入れ直し、颯爽とストリップの舞台に出るシーンがまるでかっこよく見えない、彼女の心情的な必然性がイマイチ感じられないこと、二階堂にとって「かまってちゃん」の音楽がどう響きどう血肉となったのかがあやふやなこと等、全部が人工的。『SR』の成功でこの監督がこの仕事を任されたのは分かるが、『SR』には入っていた魂がここには無い。

(評価:★2)

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