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[コメント] GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0(2008/日)

同じ台詞をなぞる声優の声は、どこかゴースト(魂)が抜けている印象。元の、寒色系の無機質さやデジタル感から一新、暖色系の、「無機質な生体感」とも呼べる態のCGに。本作の画とは馴染みきれていない嫌いがある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







このCGは、『イノセンス』では建築物のCGともマッチして、奥行きのある世界観の構築に貢献していたが、元々別のコンセプトに基づいて制作されたであろう過去作にそれを用いるのはいかがなものか。シリーズ作とはいえこの二つは、世界観の上ではかなり異なる作品という印象があるのだが。

ネットをイメージしたと思しきモヤモヤの蠢くCGにもあまりセンスを感じない。ダイビングのシーンで、素子が水滴のついたゴーグル越しに空を見る主観ショットが削除されていたり、冒頭シーンの素子がCG化されているせいで実体感が無かったり(それを狙っての変更である可能性もあるが、その意義が感じられない)、「2.0」はバージョン・アップというよりも、概ね、観客の思い入れを無視した監督の自己満足で終わっている。色調の変更は、『千と千尋の神隠し』のDVD版及びテレビ放送版でのそれに比すべきミスとしか思えない。

人形使いの声が榊原良子に変更されたことにより、素子役の田中敦子と多分に重なってしまっている点は、「鏡を挟んで向かい合う実体と虚像のように」瓜二つだと人形使いが素子に語るその分身的な関係性がより強調されているとか、元々性別というものと関わりの無い存在である人形使いから、素子に対する異性的な関係を徹底して払拭しているのだとか評することも可能ではある。だが、それでもやはりこの変更が致命的だと思えるのは、家弓家正の無感情な演技に比して、一応は抑制されているとはいえ、榊原の演技はあまりに人間的なのだ。努めてクールな人形使いを演じているその身体性が覗いてしまっている。

加えて、家弓のあの、何か預言を告げる神官のような厳かな声が、透明感のある優美な女性型の義体の口から発せられるというそのギャップが、性や年齢といった人間的な身体性を超越した人形使いという存在のキャラクタリゼーションに貢献していたのだ。それが、その女性としての身体的外見と何の齟齬も無い榊原の声に変えられてしまっては、台無しだ。榊原の、線の細い声では、人形使いが持っていた神秘性や重みが損なわれている。

榊原の声により、素子との分身的関係が強められている点は、博物館(?)で素子が人形使いの電脳に侵入するシーンに顕著。二人の声がお互いの義体から発せられるのだが、元のシーンでは、家弓の声が素子から発せられることで、バトーが気遣ってみせていた(裸の素子に上着を着せる、着替え中の姿から目を逸らす)素子の体が浸食されているという事態が一目瞭然だったのが、今回はそこも曖昧だ。バトーが「お前が奴を取り込んでるのか、奴がお前を組み込んでるのか、どっちだ」と素子に訊ねる台詞のように、素子の「自己」というものが既に曖昧化しかけている。

上空からの攻撃によって素子と人形使いが破壊されるシーンでは、バトーが腕を犠牲にして庇った素子の頭部が跳んでいき、そのノイズ混じりの主観ショットがバトーの姿を捉えて「バトー…」と呟いたところで映像が途絶える。シーン自体に変更は無いようだが、最後の「バトー…」が田中の声か榊原のそれか判別し難いことで(その直前までその頭部から発せられていたのは人形使いの声だ)、融合を遂げたらしい素子と人形使いが区別し難い存在となったことが、より実感される。声優変更が面白い効果を得たのは、このシーンくらいだろう。

(評価:★2)

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