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[コメント] 男と女II(1986/仏)

「映画に作者はいない。いや、多くの作業と奇蹟が作者だ」(パスカル・ジャルダン)。冒頭のこの引用句をなぞるように、映画内映画という入れ子構造、メタフィクションによって『男と女』という映画のフィクション性を反転させて演出されるリアル。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







劇中、実はアン(アヌーク・エーメ)が、『男と女』のラスト直後にジャン=ルイ(ジャン・ルイ・トランティニャン)との関係を切っていたことが判明するのだが、その彼女が映画関係者との結婚を機にプロデューサーに転じて今に至っているという状況、更には、現在プロデューサーとして制作した映画が不振で危機にあること、そんな時に、女優として活動している娘が劇場でジャン=ルイを見かけたことがきっかけで、アンと彼とが再会すること。この筋書きそのものが、ジャン=ルイとの別れを選んだ後に長い年月を経てきたアンの現在が、決して充たされたものとは言い難いものであったことを物語る。

アンの提案によって、二人の関係が映画化されることになり、そのことがきっかけでジャン=ルイの若い恋人が嫉妬に駆られて、異常な行動に出てしまうこと。映画は、ミュージカルという形式を採用したせいで、作り物めいた雰囲気が拭えない作品になってしまうこと。この映画の制作は打ち切ることになり、代わりにサスペンス映画が撮られることになること。映画というフィクションが、ジャン=ルイの現実の生活に重大な変化をもたらし、その半面、当の映画は打ち切られるという、二重の意味で否定的に描かれた「映画」。そもそも、『男と女』の美しいラストシーンが否定される事実が明らかにされたこと自体、「映画」に夢や幻想を抱いていた観客に、「現実」を突きつけるものだった。だがその描かれた「現実」もまた「映画」、フィクションであるという入れ子構造。

一見すると、唐突な印象のある、殺人鬼の脱走劇。この事件の映画化もまた、ミュージカル版『男と女』と同じく、現実との距離感が描かれる。この殺人鬼の妻がカフェに現れる場面では、彼女が階段を降りていく後に続いて殺人鬼も降りていくのだが、映画で描かれたように二人が会話を交わしたのではなく、殺人鬼が、妻に気づかれないように彼女を観察していたにすぎない。妻は、パンを買いに行った店で初めて女主人から夫の脱走を知らされ、狼狽して娘の名を呼びに出るのだが、映画では、この女主人本人が出演し、「実際に話した通りに言って下さい」と指示されているにも関わらず、実際とは逆に、彼女が妻から脱走を知らされたことになってしまっている。現実に医師と妻の寝室のテレビで流れていたヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』が、映画化に際しても挿入されているというメタ構造。

脱走劇とその顛末に材をとったこのサスペンス映画は、殺人鬼を擁護する発言をしていた医師が、殺人鬼の仕業に見せかけて自分の妻を殺し、更には殺人鬼の妻子さえも殺したのだという大胆な推理に基づいて制作されるのだが、終盤に至っても、このサスペンス映画は、映画が現実に対して与える残酷な仕打ちの一例として挿入されているように見える。つまり医師は、扇情的なフィクションの犠牲者として見えるのだが、最後の最後、実は本当にこの医師が真犯人であったことが明らかになる。この鮮やかな反転と、アンがジャン=ルイと再び恋人同士に戻った様子が描かれていることは、アンの映画が最終的には、現実に対してプラスの影響をもたらしたことを示している。しかし、そのことで却って、この『男と女II』という映画そのものは、一度獲得したリアルさを手放し、ご都合主義なフィクション性をまとってしまったように思える。鑑賞後の、どこか釈然としない違和感は、それが理由だろう。

前作では、アンの許に一晩かけて疾走していくジャン=ルイの運転シーンが、彼の想いの強さを最も示す場面だったが、今回は、恋人によって車をパンクさせられた彼が、砂漠の只中で為すすべなく佇む姿と、彼が救助されるのをただ待つしかできないアンという、「疾走」とは真逆の「停滞」の場面に、最も強く二人のエモーションの高まりが表れていたように思う。捜索隊が、ジャン=ルイの車のタイヤ跡を砂漠の中で見失う場面の、静けさと緊張感。この、最高度にエモーションの高まりや緊張度を見せる状況と、画面の静謐さの対照性。これこそ、前作から引き継がれた魅力の最たる部分だろう。

(評価:★3)

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