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[コメント] 三つの人生とたった一つの死(1996/仏=ポルトガル)

実際の遺作は次作の『世界の始まりへの旅』だが、これもまるでマルチェロ・マストロヤンニの遺作のように撮られた映画だ。不気味に謎めいて、それでいてとてもチャーミング。
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**ネタバレ注意**
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三つの人生とたった一つの死』という題は仏語原題に忠実な訳のようだが、ここでマルチェロが演じているのは「マテオ(セールスマン)」「ジョルジュ(教授/ホームレス)」「執事」「リュック(実業家)」という四人の人間(四つの人格)だ(マルチェロ自身は演じていないが、「カルロス少年」も含めれば五つの人格と云うべきだろう)。

一つの肉体が複数の人間=人格を生きること。それはまさに俳優の生き方そのものであり、マルチェロ・マストロヤンニという不世出の俳優の最晩年の役柄として実にふさわしい。そのうえ題が示すように彼は結末部において「一つの死」を迎えるのだから、「遺作のように撮られた映画」という私の言葉の意味も理解していただけると思う。また、キアラ・マストロヤンニがマルチェロの娘役としてキャスティングされていることもその思いを強くさせる。

そして「デヴィッド・リンチを髣髴とさせもするサスペンス」と云ってもそれほど大きく間違ってはいないであろうこの映画がしかし不思議な暖かみさえ宿しているのは、リンチと比すれば遥かに綺麗に物語が収束することや、基本的には喜劇として演出されているということもあるが、それ以上にマルチェロの存在感と彼を包む「空気」のためではないだろうか。ナイーヴなことを云うようだが、この画面からは真にマルチェロを慕い敬う出演者やスタッフたちの姿が透けて見えるような気がするのだ。

キアラをはじめとしてマルチェロに関係した人物たちが一堂に会する終盤のカフェ・シーン、何が何やらよく分からぬうちに銃撃戦にまで発展してしまうのだが、すっとぼけた演出によるその銃撃戦もどこか幸せなムードを纏っており、マルチェロの俳優人生を祝福しているかのようにも映る。いや、確かに私は「遺作のような」という印象に囚われ、穿ちすぎているのかもしれない(実際は遺作ではないのだから!)。だが少なくとも、ラウル・ルイスという奇天烈な映画作家の手によってこのようななんとも不思議なマルチェロ主演映画が残されたことは、私たち観客にとっては疑いなく幸福なことである。

(評価:★4)

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