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[コメント] ブラック・スネーク・モーン(2006/米)

チェインギャングならぬチェインギャルのクリスティーナ・リッチがまず反則的に可愛い。「鎖」は視覚的にも象徴的にもよく考えられた選択だが「南部」の風景はその鎖という異物さえも自らのうちに溶け込ませてしまう。犯罪的な状況を設定しながら道徳的潔癖を貫く姿勢はタランティーノに通じるところがある、かも。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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よい映画だ。よい映画というのは物語がよい、照明がよい、芝居がよい、など様々な云い方ができるものだけれども、というか、様々な点でよいから「よい映画」と呼びうるのだけれども、とりあえず私は「この映画は衣裳がよい」という云い方をしてみよう。

まず、サミュエル・L・ジャクソンにしてもリッチにしても、すべての衣裳がぴたりと収まっている。それはリッチの半裸も含めてのことだが、さらに、嗚呼この半裸をひたすら眺めつづけていたいなあ千代に八千代に。という好色な感情を上回るほどに、ジャクソンが買い与えたドレスに身を包んだリッチの姿は感動的だ(「衣服を与える」という所作なり行為なりには、どうやら映画において感動を生む働きがあるようです。たとえば『周遊する蒸気船』)。また「衣裳」を「身につけるもの」とやや拡大して解釈すれば、この映画における最も印象的なそれが「鎖」であったことは云うまでもないし、感動的ということについて云えば、この映画の最も感動的な瞬間は終盤の「黒人少年が白人青年のネクタイを結んでやる」というやはり衣裳にまつわるそれだったはずだ。またその少年が全裸リッチの誘惑に負けて事に及び、ちょうど帰宅したジャクソンの雷が落ちる、というこの映画で最も意欲的なカットのひとつであるロングテイクは、少年がズボン半穿き状態で飛び出してくるという衣裳上のアクセントが施されていた、との点も付け加えておこう。

(評価:★4)

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