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[コメント] 熱波(2012/ポルトガル=独=ブラジル=仏)

新作では数ヶ月ぶりかもしれないフィルム上映にお目にかかる。これほど急速にフィルム映写が稀少になるとは思わなんだし、このフィルム上映にせよ制作・配給の美学的判断か配給・興行の経費上の都合かは知る由もないが、無声映画的画面造型を持つ黒白スタンダードにはやはりフィルムの触感がふさわしい。
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人に歴史あり、とはこれまた上手なことを云った人もいたもので、少しばかり偏屈とエキセントリックの度が過ぎるほかは取り立てて変哲もなさそうな後期高齢者ラウラ・ソヴェラウにも一大メロドラマと呼ぶべき過去が横たわっていた。という時間的なスケール感を画像の連鎖としてしか存在できない映画に移し替えるためにも、この二部構成は必須である。

さて、そのようにして要請された一九六〇年代アフリカが舞台の第二部を、ミゲル・ゴメスは時代感覚を攪拌しながら展開する。黒白スタンダードというフォーマットがまず六〇年代に似つかわしくないことは云うまでもなく、さらに劇中の人物が一語の台詞も持たず、ナレーションをすべてインタータイトルに置き換えればそのまま無声映画として通用してしまいそうな画面の佇まいがますます非-六〇年代的である。しかし、ただそれだけのことであれば、私たちはこれが六〇年代の出来事であることを忘れて物語にうつつを抜かすこともできるだろう。幸か不幸か世界史知識が欠落した観客である私にとって、欧州葡国によるアフリカ植民地経営と六〇年代という時代が相即不離のものでないことも好都合だ。だが、ミゲル・ゴメスはそれを許さない。ロネッツ“Be My Baby”をはじめとしたどこまでも六〇年代的なサウンドトラックによって、観客は暴力的に六〇年代の気分に引き戻されてしまう(この選曲、そしてそれを鳴らし始めるタイミングだけを取り上げても、この演出家がどれほど鋭いオーディオ・ヴィジュアル感性の持ち主であるか知れるだろう)。

要するにこういうことだ。舞台設定・出来事・画面と語りのスタイル・サウンドトラック、それらの周到に按配された力学的関係が『熱波』第二部を六〇年代的であると同時に非-六〇年代的でもあるフィクショナルな時空間に仕立て上げ、ゴメスはそれによってかつての美しき「メロドラマ」の復権と解体の同時並行作業を目論む。

(評価:★4)

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