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[コメント] さや侍(2011/日)

いろいろと問題はあるが、前二作に比べてはるかに出来は良いと思う。松本監督が裏に引っ込んだのが最大の勝因か。松本人志というだけで、非常に高いクオリティを求められる監督は非常にやりにくいとは思う。
サイモン64

**ネタバレ注意**
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楽屋落ち的なネタを多用する芸人として真っ先に思い浮かぶのはとんねるずだが、ダウンタウン、特に松本人志もまた、楽屋落ち的な雰囲気が強い。今回の「さや侍」の主役に、「働くおっさん人形」や「働くおっさん劇場」で有名な野見氏を抜擢した時点で、ファンに対する楽屋落ち的笑いが連想された。

実際、本作の主役である野見氏には、映画の主演を張る俳優として最も求められる資質である「華」が全くなく、さらには演技力も全く期待できないので、彼を主演にした時点で、ある種の「逃げ」を感じさせられる。野見氏を主役にしている限り、映画が不発であってもどのような言い訳でもできるのである。

映画の冒頭、息を切らせて佇む野見氏の傍らに「さや侍」のテロップが出る辺りまでは、前二作の「大日本人」「しんぼる」とは打って変わったような色彩感と構図の安定感に驚かされた。また、脱藩した故、追っ手に常に狙われているものの、ストレートど真ん中な攻撃も物ともせずに生き延びる彼の超人的な生命力も語られ、これがどのような伏線として終盤生きてくるのか期待が高まってくる。

ただ、主人公の野見氏が捕らえられ、「三十日の業(ぎょう)」を課せられるあたりから、かなりの愛情と好意でもって補わないと、まともに見られなくなってくる。

一つ一つの「業」をネタとして披露していくのだが、笑いに振ったり、単なる感動に振ったり、軸がぶれ始める。監督松本人志の出自を思えば当然笑いに振ってしかるべきと思うが、松本監督は常に観客の期待を裏切ることこそがプロであると思っているかのように、予定調和な流れを断ち切ろうとする。が、試みは必ずしもうまくは行かない。

たしかに前二作も、映画の枠組みを変えようとしながら結局敗北したかのような感があったが、さすがに今回はスタッフに諭されて奥に引っ込んだような印象を与える。だが、「三十日の業」で妙な主張が出始めるのだ。

親子の愛情、見知らぬ者同士がひとつ屋根を共にして感じる思いやりなど、泣けるポイントも様々ある。柄本時生のスキャットがほとんど唯一のBGMであったりするのも素晴らしい味付けだと思う。板尾創路も、すでに完成された俳優となって目を楽しませてくれる。

しかし、この映画の最大の味付けである野見氏は、松本ファンへの味付けとしては良いと思うが、さすがに国井隼や伊武雅刀などの一流どころと共演させるにはあまりに失礼ではないかとも思ってしまう。華も演技力もないのでは、どうしようもないのだ。国井氏はかなりやりにくかったのではないだろうか?実際、国井・伊武両氏がいなかったらこの映画は成立しなかっただろうと思う。

冒頭の不死身感が活きてこない展開や、予定調和を嫌いすぎた演出と作劇も問題だろう。

エンディング自体はほろっとさせるものがあり、結構良いと思うのだが、しかし、一般的な映画ファンとしては消化不良も残るだろうと思う。

今回は松本監督が表に出てこず、裏方に引っ込んだことで、前二作よりはるかに高いレベルに達していると思う。スタッフから相当な要望があったのではないかと邪推する。映画俳優としての松本人志も、華の無さでは野見氏に引けを取らないからだ。

色々と問題点はあるが、私は結構楽しめた。ただ、松本人志作品というだけで、非常に高いクオリティを求められるこの監督は非常にやりにくいだろうなと同情してしまう。

(評価:★4)

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