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[コメント] パーフェクト・ワールド(1993/米)

「男」として「生きる」ということの観念をマイノリティの受難として描くアメリカ映画史上最高位に達するEXCELLENTムービー
junojuna

 イーストウッドの「男」としての生き様を考察する求道精神が他者に対する視点を採りながらそれでいて内省的で繊細な言及をものとした必見の名作である。「非業の死」、それを遂げられなかった人生というならば「不完全な世界」と呼ぶべきものなのかもしれない。しかし、イーストウッドはその「非業の死」を「完全な世界」と呼ぶことを肯定する。それは「死」をもって定義される「人生」の自己完結性を美学とする「男」の生き様に対する表明なのである。本作では「男」の「人生」を「父性」という存在に投影する形で言及している。そして映画はロードムーヴィーという体裁を採りながらそこに魂の遍歴を思い起こさせる図式を持つ。主人公であるブッチの人生は犯罪にまみれた「不完全な世界」である。冒頭の脱獄はそうした「不完全性」からの脱却の試みであり、父親がいるであろうと思われるアラスカへと向かう旅は自身のルーツを求める人生への希望という達成目的となる。ここで逆説的な状況提示となって深みを見せるのは、映画内言及で知られるフォード車中でのブッチの言葉に一本道を走る車を過去・現在・未来と比喩してフィリップに語る件において、ルーツを辿るという過去へのムーヴメントとアラスカを目指し前進するという未来へのムーヴメントが絶妙なる対旋律となった劇空間である。イーストウッドに連綿と脈打つ「過去への執着」という主題が、ここでは「父性」という血縁の源流をモチーフとすることで「男」の「人生」を考察する。「男」の「人生」とは「完全な世界」を実現しようとする自己完結への希求である。「不完全な世界」という欠乏状態は「男」にとって「弱さ」を暴かれている現実であり、それを克服しようと葛藤する姿が「男」の美学として描かれているのだ。イーストウッドがこの原作に自らを投影させるポイントとなったのはまさしく前述の自己実現に対する「弱さ」への共感と「強さ」への憧憬であったであろう。「完全な世界」を希求する純真と「罪の意識」に苛まれる懊悩の間に人々は行き交う。答えなどどこにもない。自己は永遠に個であり「人生」は美学をもって完結する。本作においてイーストウッドへの謝辞は尽くしがたい。

(評価:★5)

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