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[コメント] 御法度(1999/日)

御法度の意味
Bunge

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







加納は劇中当時において、年齢的には切るのが慣習となっている前髪を伸ばしっぱなして幼さを強調している。地声を殺し、高い声を意識して出し男性的要素を排除する。しかし顔つきは表情に乏しく終始冷酷さを感じさせる。

序盤で首を切った加納を見た二人が「勇気がある」「いや、あれは勇気ではない」といったかけあいを展開しているが、淡々と人を切れる理由に疑問を持つまでもなく、第一印象としてまず真っ先に非情な人間に思えるのだ。だから謎解きめいた楽しみはない。優しさや稚拙さや媚びを見せて対極の印象を与えなければ意外な結末にならない。

今作における松田龍平の顔立ちは作りものじみたものがあり、リアルな同性愛を描こうとはしていないように見える。幻想的な怪談の類を狙っているのだろう。例えそうだとしても、前述した対極の描写があれば恐ろしさがもっと引き立つし「甘い誘いに乗るのは御法度」という寓話めいた形に仕上がるのではないだろうか。

そして遊女の存在が許せない。掘りの深い系統の男前や不細工な中年ばかりを配役して構築された「この作品中で一番美しいのは加納である」という世界観を、豪華絢爛な衣装をまとった遊女が登場することで最も美しい人物が彼女にすり替わっている。「お前を抱けるなら寿命が縮んでも良い」といった台詞が登場するが、寿命を縮めて加納を抱くよりも、金を払ってあの遊女を抱くほうが良いよと助言したくなる。監督は本当に加納を美しいと思っているのだろうか。

また加納が両性愛者ではなく同性愛者とするところには何らかのトラウマ的バックボーンが関係しているのかと思いきや、特に深い意味は無かった。人間としての加納も、妖怪としての加納も厚みのある描き方がされていないし、面白い映画としての作りも不十分という感想を持った。殺陣や遊女は見栄えする映像に仕上がっており演出力はあると見た。この監督の事はよく知らないのだが、きっと同性愛なんてどうでも良いのだろう。

(評価:★2)

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