[コメント] 素浪人罷通る(1947/日)
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天一坊事件を扱う。OP字幕に「封建制におしつぶされた罪無き人物の話」。紀州の山伏の片山明彦は8代将軍吉宗の落胤、腹違いの子と自称し江戸へ向かう。
見処は序盤のドタバタで、取り巻きは「百両が千両になる」とヤクザや浪人が取り巻き献上物持ちより大騒ぎ。片山は横笛吹いて風流将軍と呼ばれている。山伏ってワイルドそうなのに美男子の片山が意外。歌舞伎の手法の踏襲なのだろう。
江戸へ向けての大名行列。浪人山内伊賀之介の阪妻の寺小屋、「皇帝は仁をなすもの」と荘子の素読、叱られて立たされているさんちゃんは「下に下に」の声聞き分けず捕まる。「ご上意」と呼ばれ片山は籠から覗いて、「怪我はなかったか、達者で暮らせ」と開放する。ここはいい件で、相手が片山のような者でなければあり得ないと思わされる。
阪妻はその方面の専門家で、こっそり訪ねた片山に落胤は認められまいと告げる。「江戸へはみすみす殺されに行くようなもの」片山は返答する。「8代将軍に会いたいのではない、父に会いたいだけ」。
阪妻は広い屋根の上で100人ばかりに囲まれて「評定所へ罷り通る」と歩いて捕まるラスト。有名なチャンバラ禁止の演出で、阪妻流石のド迫力は見処だが、構成上は、彼は無駄にでしゃばった感があり、脇役のままでいるか主役ならもっとフューチャーしてほしかった。歌舞伎なら主役が複数いても見処が増えるだけで不自然じゃないのだろうけど。
そして江戸城、大岡越前も登場するなか、一度認めれば次から次へと名乗り出られる、といういかにも官僚的な理由で却下。大岡と山内は睨み合いの末お互い大笑い。吉宗は鷹狩りを手配させて、道すがらすれ違いに親子の対面を果たす。
当時らしい血縁の物語。ネグレクト、『息もできない』、赤ん坊殺し頻発、江戸時代でも間引きは日常化していたと知られた現代において、産みの親賛美の物語を信じるのは難しい(いつの時代も個別の事情はあっただろうけど)。作劇は空々しく感じられる。題材は歌舞伎から取られており、実話はずいぶん違う由。大岡も町奉行だから本当は担当外らしい。
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